「学問の自由」がいつも破られる歴史的理由 研究と国家権力との危険な関係は常に存在する
学問的議論が大学でも学会でも消えていき、どんなコンピュータソフトがいいかという議論が活発化する。いわゆる学問における「イデオロギーの終焉」である。そしてソフトのわかる重宝な学者たちが、学会や大学の主要な位置を占め始める。大学も学界も政治問題に口を挟むことを避けるようになる。科研費(科学研究費助成事業)や文部省の助成金などが、そうした環境を破壊していったのだ。
それと同時に、大学の研究者がマスコミで取り上げられることも、めっきりと減る。学者のほうにも責任はある。政治的、経済的な問題に関して発言を慎むようになったからである。毎年開かれる学会においても、社会に対する発言はどんどん減少していき、重箱の隅をつつくだけの趣味的研究、人畜無害の研究が発展する。
不思議にも、それに対して科研費がどんどん出るから、ますますその傾向は強まる。自由主義的学者たちはそれを歓迎し、資本主義は永遠であり、「歴史は終わった」と能天気なことを語り、わが世の春を謳歌し始めた。
ところが、リーマンショックのころから事態は急変していく。資本主義の危機が再燃したことでグローバリゼーションは崩壊し、各国で偏狭な保護主義的思想が台頭し始める。そうなると自由主義的グローバリストでさえ、胡散臭いものとなってくる。冷戦下のような国家間の緊張関係が出てくると、研究者にも再び「日本精神」なるものが次第に要求されるようになる。
じっと見ているか、それとも命をかけて闘うか
マルキストのような明らかな国際主義者でなくとも、ごく普通の自由主義者も次第に煙たがられるようになってくる。しかし、これもはっきりと暴力的に行われるものではない。マスコミの論調の変化、流行の学問の変化という形式の中で進んでいくものとなる。学問の自由どころか、大学の自治も次第に変容していく。
しかしこうした事態は、なにも今初めて起こったものではない。いつの時代にもあったもので、特別なものではない。ただ問題は、これに対してじっと見ているか、それとも命をかけて闘うかである。
レジスタンス運動でナチスに処刑されたフランスの歴史学者であるマルク・ブロック(1886~1944年)が、一緒につかまって処刑される少年に「銃で撃たれることは怖いことなのでしょうか」と聞かれて、こう答えた。「いや、怖いと思うからいけない。怖いと思ってはいけないのだ」と。
学問の自由は、怖いと思うことによってどんどん後退していく。これは学問だけでなくすべてにおいてそうだ。だから怖いと思わず、正しいことを言うべきなのだ。もちろん研究費や、仕事も失うかもしれない。しかし、戦前に戻らないためには、その勇気が必要だ。
今われわれは、戦前の歴史でいえば、いったいどのあたりにいるのであろうか。昭和5(1930)年か、昭和10(1935)年か、それとも昭和15(1940)年か。しかし、今の状態に目をそらしてはならない。必ず学問を権力に利用するものがいるからだ。理性的歴史などありえないのだ。
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