「学術会議問題」致命的に見落とされている視点 政治に調達されるネット空間、議論できない国

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一方で、学問の自由を有する研究者の総体であるという会議の趣旨からも、権力から「独立して」職務を行うことが要請され(法3条)、その文脈で、法7条にいう学術会議による「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」との規定につき、1983年当時の政府見解として「実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません」との答弁が存在する。すなわち、法7条の内閣総理大臣の「任命」はフリーハンドの拒否権を含んだものではなく、裁量の幅は狭い。

ただ、これらの規定は今回の菅首相の任命拒否が裁量の範囲を越えるという方向に傾けるものであることは間違いないとはいえ、そもそもの機関の性質と総理大臣の広範な裁量との関係でいえば、違法とまで断言できるかどうかは簡単な話ではない。その後、菅首相が推薦名簿を「見ていない」と発言したことは、事実上決裁権者としてお粗末にすぎるし、法7条の「推薦に基づいて」との規定との関係からしても、見てないものを拒否できるのかといった法的な疑問も浮かぶ。既述のとおりで菅首相が理由を説明できないとすると、それは政治的責任だけでなく、違法性についても責任を負うかもしれない。

このあたりは、かなり微妙な法律論にもかかわらず、研究者や法律家が違憲や違法と「即断」しているその躊躇のなさに、私は躊躇を覚えざるをえなかった。また、元日弁連会長の職にあった者が、今回の総理の任命を天皇の任命のアナロジーで発言していたのをみて、法的な無理解に呆れたものである。いくら反政権であっても、法律論として最低限度の論理的誠実性は持つべきだ。このような言説は法的言説ではなく、ただのポジショントークである。

「違法」だったとしても是正はできない

(3)制度論的問題

さて、仮に今回の任命拒否が「違法」だったとして、制度的にこの状態を是正し、任命を義務付けるような制度はわが国の法体系上存在するのか。また、裁判で真正面から直接このことを争うことは可能なのか。答えは「否」である。

すなわち、今回の問題が違法であったとしても、これを是正するシステムが、わが国の法体系にはビルドインされていない。したがって、デモをするか、共同声明・記者会見を出すかという手段はあるにせよ、強制的に「違法な」総理による裁量権の行使を是正する手段は存在しないのである。

なぜ、法学系の研究者たちが集まって、この点まで踏み込まないのか。これまた疑問である。反政権の「ネタ」としてならば、たしかに第2フェーズの法律論で各々が思い思いに「違法」「違憲」というところでとどまってもいいが、真に日本の立憲主義を貫徹しようとするならば、制度論まで立ち入って、具体的な提言をしなければならない。

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