日本人は南極の国家的な重要性をわかってない 科学観測だけで処理不能な問題が起こってくる
各省庁間での南極への認識は、ずれがあるのです。ほとんど知識がないので、文科省に従うというような姿勢だとよいのですが、半端な知識で自己主張されるのがいちばん困りました。
ある省庁の観測したデータを南極観測の国際会議で使わせてほしいと頼んだところ、ついに許可が出なかったことがあります。「税金で採ったデータである。外国人に使わせる理由がない」などと主張されました。私としては秘密にするほどのデータではなく、外国の研究者から、「日本が調査している海域だからそのデータを見せてほしい」という注文でした。
秘密にしたほうがいいデータもあるでしょうが、それほど秘密性のあるデータでなければ、自由に公開したほうが、日本にとっても有利なはずですが、その省庁の担当者は、狭義の国益一辺倒でした。
「科学観測」だけで処理できない問題が起こってくる
これから南極で起こる諸問題に対処するためには、どうしても日本国として南極をどうするか、基本政策がぜひ必要です。「ナショナルポリシー」という感覚でいいと思いますが、国として南極をどのように使うかの基本政策です。これからは「科学観測」という一見心地よい響きの言葉だけで処理できない問題が起こってくることは明らかです。
現実に捕鯨問題は続いています。現在の南極での調査捕鯨はほとんど南極条約の地域の外で行われているかもしれませんが、南極海の生物資源利用であることは間違いありません。北半球の島国ではできないことを、許される範囲で南極でもできれば、また国民の視野も広がるのです。そのためには国策として南極へのビジョンが必要です。
2010年代になって、「海上自衛隊は南極観測の輸送支援から手を引く」という噂が流れ始めました。1965年ふじが就航したとき、その運用が海上自衛隊に託されました。当時、一部の識者からは海外派兵であるとの批判も出ました。
しかし海上自衛隊の中では好意的に受け取られ、一般には経験できない地域に行けると歓迎されているとの話も聞きました。事実、私が観測隊に参加したときも、南極に行きたくて海上自衛隊に入ったという乗組員が何人もいました。
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