女子高校野球の部員にも届いた。ある女子野球指導者は「こんなことより女子の甲子園大会を実現してほしい。話は前からあるのに」と憤る。
贈る側は「すべての高校球児が仰ぎ見る神聖なる甲子園」という思い入れがあったようだが、もらう側の思いはさまざまだった。コロナ禍の今年の高校球界では、こうした「思いのすれ違い」が、いろいろなところで見られた。
「思い出づくり」のはずが…
日本高野連は夏の甲子園の中止を7月になってから決めた。同時に、地方大会の開催も断念した。代替大会を行うかどうかは、都道府県の高野連の判断に委ねられた。
当初は予算不足や準備の問題などで代替大会を断念する県もあった。だが、日本高野連と朝日新聞社が支援金を出し、教育委員会などの働きかけもあり、全都道府県で何らかの代替大会が実施された。
1試合だけの地域から、例年どおりトーナメントで勝ち進む地域まで、方式はいろいろだったが、すべて無観客。観客席には控え選手と親族がいる程度だった。
共通するのは、代替大会は「満足に野球ができないまま引退する3年生の“思い出づくり”」だったということだ。
だから多くの地方では、本来固定されるべき「選手登録」の入れ替えを可能にしたり、ベンチ入りできる選手数(選手権地方大会では20人)を増やしたりするなど、3年生に少しでも出場機会を与えるための配慮が見られた。
多くの高校はこうした意をくんで、3年生を優先的に出場させた。ある監督は2年生以下に対して、「お前らには来年がある。ベンチで応援してほしい」と話したという。
しかし中には「うちはいつものとおりベストメンバーでいく」と宣言し、3年生をベンチに下げて、実力のある2年生を起用する学校もあった。増大されたベンチ入りメンバーにも、3年生を外して2年生以下を加える学校もあった。
ある私学のコーチは「もともとベンチから外れることが決まっていた3年生まで、試合に出してやる必要はないだろう、という声も上がった」と語った。
別の学校では、監督が「俺はベストメンバーで行きたいが、3年生はどう思うか?」と生徒に聞いた。監督は「出たかったら、そう言ってもいいんだぞ」と言ったが、これまでも控えだった3年生は「チームに迷惑がかかるから」と自分から辞退した。彼は筆者に「後でちょっと後悔した」と明かした。切ない話だ。
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