「老害」が組織をダメにするという根本的誤解 高齢化に適応できない日本企業のジレンマ

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日本中が若くて、20代でも重責を担わされていた時代が確かにあったわけですね。ソニーやホンダが、いまで言うスタートアップとして登場した頃でもありますが、現在とは年齢の感覚も社会的な役割もまったく違っていたことがわかります。

そもそも、80年代は55歳定年でした。僕はいま58歳ですが、自分が3年前に定年退職していたのかと考えると、衝撃を受けますよ。今は65歳定年になりつつあり、この半世紀で10年延びたわけです。75歳定年時代もすぐにやってくるだろうと思いますし、順当に平均寿命が延び続けるのであれば、「老いがなくなる世界」はまったく妥当で、ありえない話ではないでしょう。

「永遠に老いたくない」時代

ブロガーで精神科医の熊代亨さんが、現代は年齢を重ねていることを意識的に引き受けない社会になっているという現象を指摘されています。

かつては、若者には若者の仕草があり、年長者には年長者の仕草がありました。中年になれば、そこそこ重厚な雰囲気になり、ファッションもそれらしく変わっていく。若い頃はクーペに乗って、ポップスやロックを聴いていても、やがてクラウンに乗って、クラシック音楽を嗜んだりするようにもなっていきました。

佐々木 俊尚(ささき としなお)/ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。毎日新聞記者、『月刊アスキー』編集部を経て、2003年よりフリージャーナリストとして活躍。ITから政治、経済、社会まで、幅広い分野で発言を続ける。最近は、東京、軽井沢、福井の3拠点で、ミニマリストとしての暮らしを実践。『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)、『そして、暮らしは共同体になる。』(アノニマ・スタジオ)、『時間とテクノロジー』(光文社)など著書多数(写真:筆者提供)

ところが、そういう年相応の変化がなくなって「永遠に老いたくない」という現象が出てきたのです。何歳になっても若者と同じようなTシャツを着ているし、同じ音楽を聴いている。昔は、60代と言えば演歌を聴いていたイメージがありますが、今はそうではありませんし、そこに違和感もありませんよね。

地方では老いも若きもみんなが「しまむら」の服を着ていて、後ろ姿だけでは年齢がわからない、なんてこともあります。都市部でも同じ。昔は、おじいさん、おばあさん特有のファッションがありましたが、いまは大抵スポーツウェアだったりしますね。

健康寿命が80年となれば、仕草や趣味嗜好だけでなく、見た目も20代と70代とであまり変わらないということにもなるかもしれません。年齢や老いというものが、どんどん消滅していく時代に入っています。

技術的にも、鮮明な4Kの映像で撮ったものが、50年後も100年後も同じように見られるという時代ですし、過去が色褪せなくなりました。最先端の科学的知見を基に書かれた『ライフスパン』を読むと、そのような「老いない社会」が現実に来ていることをひしひしと感じますね。

『ライフスパン』ですごく面白いと思ったのが、「長生きしたいですか」「永遠に死なない命が欲しいですか」というアンケートをとると、大半の人は「ノー」と答えるにもかかわらず、質問に「健康であれば」という冠がついた瞬間に「イエス」が増えるという話です。

日本では、「老害」が問題視されていますし、長生きして働き続けることにはネガティブな印象を持つ人が多いようですが、それはおそらく、自分自身が老害になることを考えてしまうからではないかと思っています。気が付いたら周りから疎んじられていて、ある日、そんな自分に愕然とする。そういう未来を恐れているのではないでしょうか。

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