安倍首相はなぜ「世論」から逃げまくるのか 政治家に都合よく使われがちな世論の虚実

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

世論という言葉は政治家が都合よく使える言葉である、という前提に立って官邸のホームページをもう一度見ると、この修正にほとんど意味がないことがわかる。

そもそも内閣は世の中で多種多様な意味を持って使われている「世論」をどう定義しているのであろうか。そして、その世論をどういう手段で認識するのであろうか。さらには、いかなる手続きを経て世論を政策に反映させるのであろうか。この点について、何も具体的な説明はない。

国民を不幸にする世論への迎合

もっともわかりやすい世論は、マスコミの実施する世論調査結果の数字だろう。安倍内閣は、マスコミの内閣支持率が公表されるたびに、「一喜一憂することなく、与えられた使命に全力を尽くしたい」(安倍首相)、「支持率には一喜一憂すべきじゃない。ただ、最近の下落傾向は国民の声として真摯に受け止めたい」(菅義偉官房長官)などと述べている。つまり内閣支持率が少々下がっても気にしないで無視するということであろう。もちろん支持率が上がったときは別の表現をするのであろう。

だからと言って世論が政治的に無力だというわけではない。政治が世論に迎合することは「衆愚政治」だとして否定的に評価されている。世論は国民が不平不満などを噴出させる感情的、情緒的な反応になりがちで、しかもうつろいやすい。政治家が権力維持や議席維持のためにそうした世論に言動を合わせる世論政治は、結果的に国民を不幸にするだろう。

しかし、「#検察庁法改正案に抗議します」というツイートが拡散し、400万件以上の抗議ツイートとなったことが、法案の見送りにつながったことも事実である。また評判の悪いアベノマスクの介護施設などへの配布の延期も、世論の声が届いた結果なのかもしれない。

つまり、為政者が自己中心的で視野狭窄な政策を無理やり展開しようとするときに、国民が何らかの手段を使って声を上げて批判し、それが幅広く支持されれば、内閣は逃げ回ることができなくなるのだ。

マスメディアが多様化し、ネット空間はますます進化と拡大を続けている。国民が声を上げることはかつてに比べるとずっと容易になり、その手段も多様化してきた。もちろんネット空間でのフェイクニュースの拡散や情緒的炎上などは好ましい手法とは思われない。

為政者の都合のいいように世論を解釈させたり使わせたりしないためには、国民は真剣に声を上げ続けるしかないだろう。

薬師寺 克行 東洋大学教授

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

やくしじ かつゆき / Katsuyuki Yakushiji

1979年東京大学卒、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸や外務省などを担当。論説委員、月刊『論座』編集長、政治部長などを務める。2011年より東洋大学社会学部教授。国際問題研究所客員研究員。専門は現代日本政治、日本外交。主な著書に『現代日本政治史』(有斐閣、2014年)、『激論! ナショナリズムと外交』(講談社、2014年)、『証言 民主党政権』(講談社、2012年)など。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事