安倍首相はなぜ「世論」から逃げまくるのか 政治家に都合よく使われがちな世論の虚実
新型コロナウイルスの感染者数が全国で再び増加し、国民の不安が高まる中、政府は「感染拡大防止と社会経済活動の両立に取り組んでいく」と繰り返す。だが、目立つのは「Go To キャンペーン」など、社会経済活動に重きを置いた政策ばかりだ。
Go To キャンペーンに対してはさすがに各方面から批判が出たが、感染予防を徹底して実施するとして見直すつもりはさらさらない。その一方で、感染者数の増加に対して具体的な方策を求める国民や地方自治体からの声には何ら対応策を示さないでいる。
政府の説明に内在する本質的問題
政府へのいら立ちが高まる中、安倍晋三首相は原爆の式典参加のために訪れた広島や長崎での形式的な記者会見を除けば、6月18日以降、記者会見をしていない。
国会に対しても、週1回のペースで新型コロナウイルス対応などを審議する閉会中審査には出席せず、早期の臨時国会召集にも応じようとしていない。つまり、首相官邸が掲げる図とは裏腹に安倍首相は世論から逃げまくっているのである。
実はこの図にはより本質的な問題がある。「内閣総理大臣の指名」や「法律の違憲審査」などは、すべて憲法などに明記されている。唯一の例外が世論である。世論という言葉は人口に膾炙しているが、憲法にこの言葉はまったく出てこない。
他の国内法では公職選挙法などで「世論調査」という言葉が登場する。また、内閣府設置法には「国民世論の啓発」という表現がある。しかし、世論という言葉の詳細な定義は見当たらない。
世論という言葉を考えると、世論調査結果の数字、ネット空間の声や炎上、言論・出版における主張、選挙結果など多種多様な内容が思い浮かぶ。新聞のデータベースを検索すると、「アメリカの世論は二分されている」「核廃絶を願う国際世論」「世論が不寛容になる風潮」「多様な世論に耳を傾ける」など、世論というキーワードを含むさまざまな記事が出てくる。
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