新ホーム完成「飯田橋駅」、昔は2つの駅だった 明治時代は「東京の外れ」、駅近くには牧場も

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それでも都心部にある貨物駅として、飯田町駅は高度経済成長からバブル期までの東京の物流を担う存在でもあった。1972年には、出版・印刷業者によって飯田町駅構内に飯田町紙流通センターが設立される。飯田町紙流通センターの倉庫が情報都市・東京の基盤の出版・印刷業を支えた。

都心の貨物駅としてにぎわった飯田町駅は再開発によって景色を一変させた。当時の面影は歩道に残されたレールが伝える(筆者撮影)

だが1997年、飯田町駅を発着する貨物列車が廃止。そして、1999年には飯田町駅そのものが廃止される。国鉄分割民営化によって誕生したJR貨物が2011年まで跡地に本社を構えたが、そのJR貨物本社も2011年には新宿へと移転。跡地は再開発されて、現在は貨物列車の歴史を伝える軌道跡が歩道上に残されている。

都心部の交通結節点として

都心部の貨物ターミナル駅ということもあり、飯田町駅と貨物のエピソードは尽きない。そうした豊富なエピソードもあって、飯田橋駅の発展は貨物による恩恵と思われがちだ。確かに、飯田橋駅の歴史において貨物列車は欠かすことができない。

しかし、甲武鉄道の利用者数の推移を見ると、実は飯田町駅の隆盛、そして飯田橋駅の発展と貨物との相関関係は見いだせない。甲武鉄道が立川駅−新宿駅間を開業させた1889年の年間利用者数は、約26万9000人。そこから毎年のように微増し、1894年には約84万7000人に達する。

ところが、翌年の利用者は約242万人と前年度から3倍近い増加を記録する。これは甲武鉄道が牛込駅まで延伸した翌年にあたることから、その影響で利用者が増えたと考えられる。そして、飯田町駅まで延伸した翌年にもさらに利用者は増加し、年間約366万人となった。

飯田橋駅の旧ホームは東口への連絡通路になった(編集部撮影)

こうした数字からも、多摩方面から都心部への旅客需要は高かった。東京の場末といわれた飯田町駅は、駅周辺こそ農村然としていたが、その実態は開設当初から多摩と都心部を結ぶ重要な交通結節点として機能していた。

飯田橋駅における交通の結節点化は、昭和30年代からも加速していった。1964年に営団地下鉄(現・東京メトロ)が東西線の駅を開設。これを皮切りに、1974年には有楽町線の駅が、1996年には南北線の駅が開設された。さらに2000年には都営地下鉄が大江戸線の駅を開設した。

交通結節点として都民に利用されてきた飯田橋駅は、地形的な制約もあって駅前広場とは言い難い小さな空間しか駅前には整備されていなかった。今回、新西口駅舎とともに駅前広場の整備が予定されている。交通の結節点として深化を続けてきた飯田橋駅だが、西口駅舎の再整備により新たな役割が期待されている。

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