結果論として、僕は営業の現場に戻されたことで留学前とは違った営業アプローチを経験できたのでよかったと思っていますが、そこで会社を辞めていてもおかしくありませんよね。
留学制度は、ビジネスのニーズからくる戦略の中に位置づけ、留学させた人間を最大に活用する仕方について考えたうえでやるべきだと思っています。
--大阪の営業現場に戻った後、30歳のときに最年少のプロダクトマネジャーとして抜擢されます。
帰国後1年やってもまだ大阪で営業しろと言われたら辞めようと決めていたんですけど、誰かがどこかで見てくれていたのでしょうか。この時も1年ちょうどで東京本社の企画部へ異動が決まったんです。
プロダクトマネジャーというのは、1人の人が収益まで全工程を管理する、いわば商品の社長です。実際には生産、研究、営業、広告制作とたくさんの人たちにお願いをして自分の思いを商品として結実していくのですが、車輪の要のような役割を担うことになりました。
営業にいたことのメリットがすごくありましたね。商品が発売されると消費財なのですぐに店頭で反応が出ます。調査なんかやる前に営業の人に聞くとすぐ状況がわかる。
現場とパイプがあるので、電話1本で商品の動きなどの情報がとれました。R&D出身のプロダクトマネジャーにはできないことです。
--魚谷さんは、先ほどお話にあった顧問の方など、人生のターニングポイントでキーパーソンとなる方の言葉を大事にしていらっしゃいます。ライオンから転職するきっかけは、奥様の一言だったそうですね。
東京赴任直後は意気揚々としていたものの、めちゃめちゃたたかれ、残念ながらどこか次第に挑戦する気持ちがなくなっていきました。ライオンはマーケティング部門の提案をもとに技術系が商品化を実現するという開発パターンなのです。