その「差異」は努力の結果か、生まれつきか デブ対チビの終わりなき闘い

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もちろん船に乗るのは中産層以上です。ただ、生活感覚として実感するのは、肥満自体が階層によって分布が異なっており、皮肉なことに低所得層に肥満が多いことなのです。マクドナルドのハンバーガーを食べてコーラばっかり飲んでいる人が肥満になりやすいのに対し、少なくともアッパーミドルはもう少し食事に気を遣います。太っていることは、時に「自己管理ができない証拠」として、職場でマイナスの評価を受けることさえありえますから。

体重に関する圧力の男女差

体重に関する圧力には、当然、男女差があります。女性のほうが圧倒的に「やせなければ」という圧力にさらされます。しかもそれが「努力によって達成可能」とされている点が、ミソのような気がします。

チビに対する否定的評価は、もちろん男性のほうがより強く受けるのですが、身長はあのインチキくさい靴を履くくらいしか対処法がないのに対して、体重のほうは永遠に「個人の努力」の問題にされるのです。だから人(特に女性)は、終わることのないダイエット競争に駆り立てられてしまいます。

ではなぜ「スリムな女性」が好まれるのでしょうか? 実はこれも決して生物学的に決まっていることではありません。「スリムな美人」という概念は、「社会的に作られた」ものなのです。

よく知られているように、日本の奈良時代や平安時代、また中国の唐代などでは、「ふくよかである」ということが、十分に食べるものがある豊かさの証明であったために、今の感覚でいえば「水平的に挑戦を受けている」女性が「美人」とされていました。正倉院の宝物として有名な「鳥毛立女の屏風」は、その典型例です。

そういえば、20年近く前に北朝鮮の飛行機に乗ったときのキャビンアテンダントは、日本の感覚で言うと若干「ふくよか」だったのですが、関係するのかどうか……。

一方で女性の腰のくびれは、「妊娠していない」というシグナルとして、異性を引きつけると、社会生物学では解釈されています。

話を戻しましょう。「美人というのは努力の結果ではなく、単なる素質なのだから、それで評価をするのはよくない」という議論があるのですが、服装や髪型、化粧の仕方や肌の手入れなどなど、「努力」による部分はたくさんあります。逆に、学校の成績というのは基本的に努力の結果だと考えられていますが、そんなに単純なものではないですよね。

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