東大生が「本を深く読めて、かつ忘れない」ワケ 「3パターンの質問」で読書は10倍効率化する

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まず前提として、なぜ本の内容や人の話が頭に残らないのでしょうか。

読書も恋も、「受け身」ではうまくいかない?(出所:『マンガでわかる東大読書』)

それは「本を読む」「人の話を聞く」という行為が、本質的に「受け身」なものだからです。自分から相手に、能動的になにかを投げかけるのではなく、ただただ相手から情報や話を「受け取る」ことに専念してしまっているから、頭に残らないのです。

コロンビア大学の研究では、情報を見たり聞いたりする「インプット」と、その情報を活用して説明したり問題を解いたりする「アウトプット」との割合が「3:7」のとき、一番頭に残りやすいというデータがあります。

これはつまり、人間の脳は、受動的にインプットする割合よりも能動的にアウトプットする割合が多くないと頭に残りにくいということです。

「勉強=受動的なインプット」という勘違い

「能動的なアウトプット」と「受動的なインプット」。この2つの対比を考えると、僕たちは「受動的なインプット」の割合が高くなりがちです。

学校でも、授業中に先生になにか質問をすることはなかなかないと思いますし、自分の意見をぶつけることもありません。講演会や会議のとき「なにか質問はありますか?」と聞かれても、シーンとしていることのほうが多いですよね。対してアメリカでは、授業中は活発に質問し、会議でも発言しなかったら逆に「やる気あるのか?」と思われてしまうそうです。

この文化の違いは言葉にも表れていて、日本語では「授業を受ける」というのに対して、英語圏では「take a class(授業を取る)」と表現します。授業というのは受け身で「受ける」ものではなく、能動的に「取る」ものであるという解釈をしているのです。

現に、東大生は非常に多く質問をします。「何か質問はありますか?」という質疑応答の時間には、毎回質問の数を制限しないといけないくらいたくさん質問が出ますし、授業の後も教授に質問しに行く学生が非常に多いです。

初めて東大で授業を受けたとき「あんなに頭がいい東大生なのに、わからないところがあって、それを質問しに行くのか」とびっくりしたのを覚えています。「そういえば、成績が悪かったとき、僕は先生に質問に行ったりしなかったな……」とも思いました。

質問というのは、能動的な姿勢がなければ出てこないものです。自分から情報を取りに行く行為であり、質問を考えるということ自体が「アウトプット」であると思います。だから、本や人の話を本当に理解したいなら、僕たちはいつでも「質問」を考えながら、読んだり聞いたりしなければならないのです。

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