三角屋根の旧駅舎復活、学園都市「国立」の軌跡 西武・堤康次郎、失敗の末に築いた理想都市

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東京商科大学が移転してきたことで、鉄道・道路・上下水道・電気・郵便局といった国立の生活のインフラは急速に整備された。国立の大学町は東京商科大学とともに語られることが多いが、国立大学町を語るうえでもうひとつ忘れてはならないのが東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)の存在だ。

新交響楽団(現・NHK交響楽団)と共同で演奏会をすることでも知られる名門音楽学校は、堤と創立者の一人である中館耕蔵の話し合いで国立にキャンパスを開設することが決められた。

大学町を実現させるという悲願成就を目前にしていた堤は、国立を単なる大学町にするのではなく、音楽村というもうひとつの特色を帯びさせようと考えていた。

東京高等音楽学院のキャンパスを誘致した堤は、その後も中館の要請を受ける形で客席5000の国立音楽堂を建設。音楽学校や音楽堂を整備するかたわらで、音楽家の住むような邸宅も整備した。竣工当初の音楽堂は演奏会に多くの人が詰めかける人気スポットだった。演奏会の開催日は、中央線の国立駅は混雑したという。

しかし、音楽堂は短期間で閉鎖され、音楽家用に整備された邸宅の売れ行きは鈍かった。そうした経緯もあって、現在の国立から音楽村の雰囲気は喪失している。

意見対立を乗り越えて

大学町として順調に発展した国立だったが、それを脅かす波が戦後に押し寄せる。立川基地に駐留していたアメリカ兵たちが国立の飲食店へ来店するようになった。それだけだったら、国立の活性化に一役買うとして歓迎されただろう。しかし、アメリカ兵が求めていたのは国立の雰囲気を乱す特飲街だった。

赤い三角屋根がトレードマークの国立旧駅舎(筆者撮影)

大学町の雰囲気を守ろうとする住民たちと、活性化を優先する住民たちが対立。特飲街をめぐる議論は国立を二分する事態を引き起こし、結論は議会に委ねられた。結局、議会では1票差で文教地区を守ることを採択する。

その後も財源問題から立川市との合併などの議論が浮上し、そのたびに国立を二分する議論が巻き起こっている。旧国立駅舎の保存や復原についても、長らく議論が続けられた。

そうした意見の対立を乗り越え、街のシンボルだった旧駅舎は復原を果たしている。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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