経済学者が成長より「善と悪」を考えるべき理由 欧州と日本がざわついたチェコ人学者の提言
今日ではその役割を科学が果たしている。したがって両者のつながりを見つけるには、古代の神話や哲学に深く分け入らなければならない。この本を書いた理由は、そこにある。古代の神話の中に経済的な思想を探り、そして逆に、現代の経済学の中に神話を探りたい。
近代の経済学は、アダム・スミスの『国富論』が刊行された1776年をもって始まるとされてきた。だが近代以後(この名称は、先行する「近代科学時代」に比べると、ずいぶん控えめである)に生きる私たちはもっと時代を遡ることができるし、歴史、神話、宗教、寓話が持つ力に気づいてもいる。
経済学者は物語の力を信じるべきである。アダム・スミスは信じていた。その証拠に『道徳感情論』の中には「信用されたい、人を説得し、動かしたいという欲求は、生来の欲求の中でもきわめて強いもののひとつだと考えられる」というくだりがある。この一文を書いたのが、人間が自ら最も強く欲するのは自己利益だと言ったとされる、アダム・スミスその人であることに注意されたい。
経済学は、壮大な野望に見合う努力をすべきだ
経済学者のロバート・シラーとジョージ・アカロフは、共著『アニマルスピリット』の中で次のように書いた。
「人間の頭は、物語をもとにして考えるようにできている……だから人間の動機の大半は、自分の人生の物語を生きることから生まれる。自分自身に語りかける物語が、動機を生み出す枠組みとなるのである。そうした物語がなかったら、人生は『次から次へといやなことが起こる』だけになるだろう」
この引用のもとの形は「人生は次から次へといやなことが起こるのではない、同じいやなことが繰り返し起きるのだ」である。まことにごもっとも。
経済学は、すべてを説明するという壮大な野望を掲げた以上、狭い学問領域を飛び出してすべてを理解しようと本気で努力しなければならない。
どんな経済学も、結局のところは善悪を扱っている。経済学は人間の人間による人間のための物語を語っているのであって、どれほど高度な数学的モデルも、実際には物語であり、寓話であり、自分を取り巻く世界を(合理的に)理解しようとする試みだと言える。
経済のメカニズムを介して語られてきたこの物語は、今日にいたるまで基本的には「よい暮らし、よき人生」についての物語であり、それは古代ギリシャやヘブライの伝統から生まれた。私はそのことを示したい。
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