「テレビ報道」ネット隆盛だからこそ必要な理念 この先ページビュー至上主義の誘惑に勝てるか
Windows95が発売された1995年をインターネット普及の元年とすると、2020年は25年目の節目となります。現在25歳よりも若い世代は、インターネットが登場する前の世界を知りません。時期的に言えば、今年の新入社員もそうですね。テレビがニュースをどのように伝えていたかは、想像するほかないでしょう。
しかし、その姿を想像するのは難しくありません。なぜならテレビという受像機を通じて伝えられる「放送局が制作したニュース」の姿は、今と比べてもさほど変わっていないからです。その一方で、同時配信が始まり、テレビの広告費がインターネットに抜かれるようになると、テレビ業界もインターネットビジネスへの依存度を高めていかざるをえないでしょう。その未来を占ってみたいと思います。
いずれは避けられないネットシフト
過去20年間、テレビや新聞の危機が何度も叫ばれてきました。経営危機に陥ったマスコミ各社が消えてなくなってしまうだとか、インターネットによって誰もが発信できる時代に報道機関の意義が消え失せてしまうのではないかといった論調でした。そうした危機意識を背景に、報道に携わる人たちは、インターネットの時代に合わせて報道を進化させてきました。
報道現場の若い人たちの中には、「データジャーナリズム」や「データビジュアライゼーション」といったテクノロジーをニュースに取り入れようと努力している人がいます。校正作業の自動化やAIアナウンサーの取り組みを進めている人もいます。それはそれで「テクノロジーを取り込みつつ進化している」と評価できるでしょう。一方で、それらの取り組みはテレビ業界のビジネスを安定させる効果を持つわけではないことに注意が必要です。
私は、報道を進化させるだとか、ジャーナリズムを活動として維持発展させていくことだとかを考えるときに、「手法」だけでなく、「理念」と「体現者」、そしてそれを支える「ビジネス」も同時に考えるべきだと思っています。理念はともかく、ビジネスについては現場のジャーナリストの少なくない人たちが違和感を覚えるかもしれませんが、ジャーナリズムが人の営みである以上、ジャーナリズムに携わる人の生活を支えるという視点は重要です。それなくしては、体現できる行為者は存在しないからです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら