「自分を不幸にする人」が陥りがちな思考のクセ コロナ騒動でも暴発する「不安」の正体
「情念」に訴えかけると、論理が破綻していても、情念の力で正しく見えてしまうことが起きます。大きな戦争の時、
笑うから幸せになれる
アランはまた、こんなこともいっています。
私たちは、苦境に陥った人に対して、哀れみや同情を感じることがあります。しかしアランは、そうした感情は、むしろ逆効果になると指摘しています。
こんな話を聞いたことがあります。ある医師の方が言っていたことでしたが、治すのが難しい患者さんを前にしたとき、「気の毒だな」「つらいだろうな」と感じると、それが相手に伝わってしまうので、つい機械的な対応をしてしまうという話でした。
そうしたなか、病気の人やその家族が集まる飲み会が開かれ、医師も参加したそうなのですが、明るい雰囲気で、笑い合い、楽しい時間を過ごすことができたといいます。医師と患者の壁がなくなり、できる限りのことをしようという勇気が湧いたそうです。
『幸福論』が、「あわれみや同情」ではなく「快活な友情」を示すことをすすめていたのは、まさにこのことだと思います。「一緒に飲む」という行動が、情念を乗り越えて、共に前に向かって歩む力を生み出したということなのでしょう。
世の中、自分の力ではどうにもならないこともあります。しかし「笑う」ことによって、自分と社会をよりよい方向に変えることは、たしかにできるのだと思います。
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