「自分を不幸にする人」が陥りがちな思考のクセ コロナ騒動でも暴発する「不安」の正体
情念の制御法として、「ピアニスト」の例も挙げておきましょう。
あるピアニストが演奏前、「うまく弾けるだろうか」「間違えたらどうしよう」という不安に支配されていました。しかし、いざ演奏し始めたら、その不安はどこかへと消えてしまいます。平常心を取り戻したのです。
不安を追い払ったのは指の動作、すなわち「思考」ではなく「行動」でした。行動せず、思考ばかりがぐるぐる回っていると、不安がどんどん高まってしまいます。だから「考えるよりも行動しなさい」とアランは伝えているのです。
幸せをただじっと待っていても、何も始まりません。しかし自分の意志で何かを始めれば、大きな困難があっても、最後は達成感に包まれるかもしれません。自分の人生なのに、自分自身が傍観者になってしまってはいけないのです。
イライラや恐怖は伝染する
このやっかいな「情念」。これは、個人の中だけで完結するものではありません。まわりの人はもちろん、組織全体、さらには社会全体にも「伝染」します。
アランは、レストランで1人の客の不機嫌が、隣の客やボーイに伝わったことで、店全体、さらにはボーイの夫婦関係までおかしくなる例を挙げています。これはたしかによくあることです。
例えば電車の中で、肩がぶつかったなどと、言い争いが起きることがありますが、そのことで車内全体も、「負の情念」に包まれたような雰囲気になります。「うるさいな」「外でやれよ」とイライラする人もいれば、「怖い」とビクビクする人もいるでしょう。
逆に、客にも店員にも笑顔があふれている店だったら、気分が落ち込んでいた人であっても、幸せに食事を楽しめるはずです。
このように情念は「場の空気」を形作るものです。現代はインターネットがあるので、情念がアランの時代よりはるかに伝染しやすくなっているといえます。もし世間に広まっている情念が、想像力によって生まれた悪い幻にすぎず、それが世界を動かす力を持ち始めてしまったら、私たちはどうすればいいのでしょうか。