デマで買い占めに走る人が何とか拭いたい恐怖

何がパニックの引き金になってもおかしくない

人間が縛(いまし)められ、一切の身体の自由を失い、その生命が危険に瀕している時、なお彼を救い得るものがあるとすれば、それは正に嘘である。嘘は一定の人為的環境を相手に与えることによって、相手をこれに適応する如き行動に出でせしめることである。嘘を語る人間は無力であっても、この嘘によって生みだされた環境は断じて無力ではない。人為的環境を作り出すことは即ち一つのイメージを作り出すことである。(清水幾太郎『流言蜚語』ちくま学芸文庫)

つまり、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「生命の危険」は、わたしたち一人ひとりの力には当然ながら限界があり、その大局をコントロールすることは困難で行動の制約を受け入れざるをえない。これが絶えざる無力感と不安の正体である。

だが、「新しい事態」に適応するという形で〝コントロール感〟を取り戻すことは可能である。「新しい事態」とは何か? 「生命の危険」に関わる最新の情報はもちろんのこと、「少しでも状況を先回りできそうな情報」までもが含まれている。しかも、清水が指摘しているように、この情報は「正に嘘」でいいのである。これらを誰よりもいち早くキャッチし行動に移すことによって、「(大局的にはまったく思いどおりにはならない)状況をなんとかコントロールできていると思い込もうとする」習性といえるだろう。

コロナの脅威は制御不能だが

要するに、新型コロナウイルスの脅威をコントロールすることは不可能だが、トイレットペーパーの確保をコントロールすることは可能である――といったミクロレベルでのコントロール感=「対処できてる感」が精神的な充足をもたらすのである。これが「嘘を語る人間は無力であっても、この嘘によって生みだされた環境は断じて無力ではない」の正体といえる。

そもそもわたしたちが生きている近代的な空間は、基本的に人間がコントロールできるものによって構成されている。気候の影響は最小化され、死や病や腐敗はすぐに隔離され、手付かずの自然はほとんど存在しない。解剖学者の養老孟司はこれを「脳化社会」と呼んだ。このような空間が〝常識〟とされる社会では、コントロール不可能で致死的な結果を招くかもしれない不可視のリスクの侵入は、わたしたちが持つ「コントロール感」が幻想であることを告げる不吉なメッセージとなる。それは、普段は想像すらしたくない「誰にでも訪れる死の普遍性」を呼び覚ますのである。

もう1つ重要な視点は、新型コロナウイルスの恐怖から生じる「死の考え」から、意識をそらそうとする回避行動の文脈だ。

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