「不快な広告」と「愛される広告」の決定的な差 「伊勢半の顔採用」が炎上しなかった理由
もう1つは、博報堂の福井健史氏が企画した本田技研のスーパーカブ60周年広告だ。お祭り騒ぎをするよりは、これまでカブを愛してくれた人への感謝をする、という一連の企画だった。
対象は郵便配達員(店舗広告)、蕎麦の出前(電柱広告)、新聞配達員(新聞広告)などがあったが、その中に、「種子島の高校生」向けの新聞広告もあった。南日本新聞の15段広告で、原付自転車での通学が許されている種子島の高校3年生の卒業を祝う手紙のような広告だ。
カブに乗り通学する姿や卒業式に3年生が新聞をもらって喜ぶ様子などを記録した動画も公開。
本人たちが喜んだのはもちろんのこと、島出身者や、この広告や動画をネットで見た無関係の人もホンダの粋な計らいに感動の輪が広がった。
2人とも一番効果があると考えたから新聞を選んだ。ただし、その先のSNSでの大拡散→ウェブメディアがこぞって取り上げる→Yahoo!トップにも登場→地上波テレビも取り上げる、といったPRの王道を見越していた。この日「広告だって愛されることはある」という当たり前のことが確認できたし、「本当に効く広告はスペックや売り文句を詳しく書くことではない」という確信もできた。
何よりも大事なのは「面白さ」
私は最後に「ネットと新聞広告の親和性」というテーマで総括として以下のようなことを話した。
「ネットユーザーは面白ければ読む。つまらなければ読まない。そして感動したら素直にそう表現するし、称賛を惜しまない。自分も新聞のコラムを書いているが、ネットで話題になっていることを書くと『新聞に出ていた!』などとその当事者が発見したり誰かに教えられて知ることとなる。勝手に紹介しやがって、と文句を言う人もいるが、喜んでくれる人も多い。結局新聞ってまだ『権威性』と『特別感』を有しているから、SMAPの解散阻止の際にファンが新聞広告を利用したりもした。だからこそ、新聞は誤報はしてはいけないし、記事では真面目でなくてはならない。一方、新聞広告は娯楽や心の情感を揺さぶる役割がある」
ステマのことを書こうかと思ったものの、最近、広告業界に再び深く入り始めた自分としては、こうした前向きな話を書いてみたくなった。
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