期せずして「水の専門家」になった男の仕事観 あちこちを回っているうちに問題が見えてきた
――水問題に取り組み始めた経緯を教えてください。
卒業後は編集の仕事をしていましたが、「書きたい」という気持ちが強くなって出版社を辞めました。その後、バングラデシュのルポ取材で、人生で初めて水道のない国を訪れました。
現地の人たちは井戸の水を飲んで生活しているのですが、赤く塗られた井戸や中にバツと書かれていた井戸があったので、何だろうと思いました。
でもみんな使っているし、お母さんは子どもに飲ませているし。聞いてたら「ここからヒ素がでる」と言うんです。ヒ素は猛毒ってことも知っているんですが、それでも「飲まなかったら2日生きていけないでしょ」と言うんです。
明日のために将来の健康を犠牲にして生きている姿を目の当たりにして、それまで浮かれていすぎていたな、この人たちの役に立てないし、辞めようかなとも思いました。でもよく考えてみたら、「水の問題というのはほとんどの人に認識されていない。きちんと伝えられたらいいな」と思って、そこからこの問題に取り組み始めました。
――「水ジャーナリスト」は聞きなれない肩書きですね。
水問題に取り組み始めて、水不足や水の汚染に苦しむ地域に取材に行くことが多くなって、テレビ番組で「水評論家」とか「水問題に詳しいジャーナリスト」と紹介をされることが多くなりました。
多くの人は断水とか水質汚染とかを水問題だと想像すると思います。でも水の問題は森林破壊や食料、エネルギー、気候変動など多ジャンルに関わるので、もし僕が水ジャーナリストとして水をめぐる様々な問題を取材した結果、みんなが「あ、それも水問題なんだ」と思ってくれればいいな。じゃあもう水ジャーナリストでいいや、と肩書きが決まりました。
水評論家でなくて「水ハカセ」 感じた手応え
――水の知識、専門性はどこで蓄えましたか?
ちまたで「水ハカセ」と呼ばれているんですけど、学問として勉強したことがないのです。自分で色々行って、取材して、様々なことを繰り返しながらここまで来てしまった。「あなたは博士号を取っていないのに、ハカセを名乗るのはけしからん」と、たまにシンポジウムとかで糾弾されます(笑)。
評論家というポジションが好きではなくて、知っているだけではなくて、一緒に困っている人たちがいたらなにかやりたい。やれることは限られているのですが。