新聞・出版界の既得権、本の“ニセ金化”を生んだ「再販制度」なんてなくていい--永江朗・ライター兼早稲田大学教授
再販制度が既得権かと問われたら、それは間違いなくイエスです。
新聞、書籍、雑誌、音楽CD、音楽テープ、レコードの6品目だけが独占禁止法の例外措置として、供給者側(新聞社、出版社、レコード会社)が定価を決めることができることになっています。仕入れた側はその定価でしか売ってはいけないというのは、実におかしな制度です。
商品の値段なんてものはもっと柔軟に考えるもので、ちょっと鮮度が落ちてきたから下げてみようかとか、表紙が汚れているから値下げしようかと。そういうものだと思う。
出版社や新聞社の再販維持論者は、再販をなくすと、発行される本や新聞の種類が少なくなって、言論の多様性がなくなると言います。つまり文化の質を保つために必要だという論理です。でも、それって本当なんですかね。
先進国でこんなガチガチの再販制度を守っているのは日本くらい。再販制度がない欧米の先進国で、多様な言論や表現がないかといえば、全然、そんなことないでしょ。再販がある国でも、定価販売の期間を決めていたり、最初から値引きできる幅を設定していたり、もっと柔軟に運用している。
再販がなくなると本や新聞の価格は確実に高くなるでしょう。でもそれが直ちに悪いことだとは言い切れない。読者としては安いほうがいいのだけれど、今の出版界は、本の価格を安くしてその代わり出版点数を増やし、売り上げを維持しようと躍起になっているだけ。むしろ価格が上がることで書店のマージンが上がるし、出版社も量よりも質に転換する。毎日200点以上の出版物が発行され(年間8万点!)、本の大量洪水の中で、追い立てられるように働いている書店も余裕が出てくる。国際的に見ても日本の出版物の価格は決して高くありません。