「元農水次官の長男殺害」に重なる23年前の事件 殺人罪で実刑判決受けた被告が「異例の」保釈
父親はこれに従順に従い、むしろ息子に尽くすようになる。また、息子のために処方された睡眠薬と精神安定剤をこっそり味噌汁に混ぜるなどして飲ませている。それでも買ってきたサンドイッチが気に食わないと言っては、父親を足蹴にして鼻を折るなど、暴力はやむことはない。
長男が中学3年になったとき、長女が入院させることを提案。世田谷区の精神病院に見学に行くが、実際の入院施設を見て、入院させると息子がショックを受けてしまうのではないか、と思いとどまる。
そして、犯行の2カ月前。父親は金属バットと縄跳びの縄を購入して、自宅に隠すようになった。縄跳びはバットで中途半端に殴るよりも、首を絞めて完全に殺してあげたいという思いからだったという。
やがて、事件前日。職場から帰った父親は息子にゲームの攻略本を買ってくるように乞われて(というより、命じられて)、買いに出かけ、戻るとすぐにレンタルビデオの返却に向かう。夜10時。帰宅すると、息子に言われて購入しておいたTシャツを見せる。すると、気に食わなかった息子は、「なんでこんなもの買ってきたんだ」「すぐ返してこい」などと言って殴りはじめた。
その翌朝。この日は息子に朝7時に声をかけて起こすことになっていた。6時半頃に寝室に入ると、息子は頭をこちらに向けて眠っていた。
「いまは静かだが、今日もまた殴られるんだなあ」
そう思った父親は、隠していた金属バットと縄跳びを持ち出してくる。午前7時過ぎ、父親は金属バットを息子の頭部に4〜5回振り落とした。その後、首に縄跳びを巻いて絞めた。息子は脳挫傷と窒息により死亡した。父親は、返り血で汚れた服を着替え、そのまま近くの警察署に自首している。
熊沢被告も息子との関係づくりの努力をしていたが…
他方で熊沢被告の長男も、やはり中学に入学した頃から母親に暴力を振るうようになった。大学進学を機に独り暮らしをはじめてからは、熊沢被告が月に1度は発達障害で苦手なゴミの片付けの手伝いに通い、定期的に長男の状況を主治医に伝え、処方箋を届けるなど、長年にわたって世話を続けた。
また「生きがいを持たせたい」とコミックマーケットへの出品を勧め、会場で売り子として手伝ったこともあったという。判決では、この点を評価して「適度な距離感を保ちつつ、安定した関係を築く努力をしてきた」と言及している。
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