スノーデンが東京で下した大量監視告発の決断 米国諜報機関にいた彼は何を突き止めたのか

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地球の通信インフラがアメリカ的なものである以上、アメリカ政府がこの種の大量監視を行うのは当然わかっていたはずだ。特にこのぼくには自明であるべきだった。でも、実際にはわからなかった──それは政府が、自分たちはそんなことは一切していませんと述べ、法廷やメディアでそんな手口をあまりに決然と否定したので、政府はウソつきだと糾弾するわずかに残った懐疑論者たちは、髪ボウボウの陰謀ジャンキーまがいの扱いを受けるようになっていたというせいもある。

秘密のNSAプログラムをめぐる彼らの疑念は、エイリアンからのメッセージが歯に仕込まれたラジオに送信されているといった偏執狂の妄想と大差ないものに思えた。ぼくたち──ぼくも、あなたも、その他みんなも──はあまりに信用しすぎていたわけだ。でもこのすべてをぼくにとって、ずっと個人的にも苦痛なものとしているのは、前回このまちがいをやったとき、自分がイラク侵略を支持して陸軍に入ったということだった。

ICに入ったときに、2度と自分はだまされないと確信していた。特に極秘クリアランスの最高位を持っているんだから。それがあればまちがいなく、ある程度の透明性は得られるはずだろう? 結局のところ、政府が自国の秘密を守る人々から何かを隠すはずがないじゃないか? このすべてはつまり、当然のことがぼくにはそもそも思いつきさえしなかったということだ。それが変わったのは、2009年に日本に引っ越して、アメリカ最高の信号諜報機関であるNSAのために働くようになって、しばらくしてからのことだった。

夢の仕事だった

これは夢の仕事だった。この世で最先端の諜報機関の仕事だからというだけでなく、日本での仕事でもあったからだ。日本には昔から、ぼくもリンジー(編集部註:スノーデン氏の恋人)も夢中だった。未来からの国のようだった。ぼくの仕事は公式には契約業者としてのものだったけれど、その責任と、特にその場所は、ぼくを魅惑するのに十分だった。皮肉なことに、自分の政府が何をやっているのか理解する立場になるためには、民間に戻るしかなかったわけだ。

紙の上では、ぼくはペロー・システムズ社の従業員だった。これはあのチビでやたらに元気なテキサス人が創業した企業ということになる。改革党を創設し、大統領選にも2回出馬したあのロス・ペローだ。でも日本についてほぼ即座に、ペロー・システムズ社はデル社に買収されたので、紙の上でぼくはデル社の従業員になった。CIAの場合と同様に、この契約業者という地位はすべて単なる形式で偽装でしかなく、ぼくはNSA施設でしか働いていない。

NSAの太平洋技術センター(PTC)は、巨大な横田空軍基地にある建物の半分を占領している。在日米軍の本部として、横田基地は高い壁、鉄のゲート、衛兵付き検問所で囲まれている。横田基地とPTCは、ぼくとリンジーが借りたアパートからはバイクですぐのところだった。ぼくたちのアパートは巨大に広がる東京都市圏西端にある福生市にあった。

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