そごうの栄枯盛衰に見る絶対強者に生じる綻び 堅牢なビジネスモデルが逆に企業を危うくする

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その後は復活を遂げた「そごう」ですが2000年には一度倒産した企業でもあります(撮影:尾形 文繁)
なぜ一時代を築いた企業は破綻に至ったのか。日米欧25社の「倒産」事例を分析した新著『世界「倒産」図鑑 波乱万丈25社でわかる失敗の理由』を上梓した荒木博行氏が全3回で3社のケースを読み解きます。
第1回は「そごう」編。1830年に大阪で生まれ、古着店から呉服店、百貨店へと業態を変えながら、昭和恐慌、アメリカ軍による接収、東京進出の失敗、経営権をめぐるお家騒動など幾多の荒波を乗り越えたそごうは「独立法人のチェーン化」という強固なビジネスモデルを確立し、急速な成長を遂げた。しかし、その勝利の方程式が“逆回転”した末の2000年、民事再生法申請に至る。今、私たちが学ぶべき教訓とは?(本稿は新著の一部を再編集したものです)

百貨店の「独立法人化」によって急速拡大を実現

そごうの創業は1830年、26歳の十合伊兵衛氏が大阪で立ち上げた「大和屋」という古着屋にさかのぼります。商売人としての才覚あふれる2代目の伊兵衛氏が、古着屋から呉服屋に業態を転換させ、西南戦争の軍需景気の波に乗り、大成功を収めます。その後「十合呉服店」に屋号を改め、心斎橋、神戸に出店。1919年には株式会社十合呉服店として、本格的にデパート業に参入し、今日のそごうの原型が形作られました。

デパートを運営していくためにはハコモノをつねに改装していく宿命にあります。しかし、十合は1935年、昭和恐慌のあおりを食って改装の工事資金に行き詰まってしまいます。十合一族は、資金獲得のため、北海道財閥の板谷宮吉氏に持ち株の過半数の譲渡し、経営から身を引くことになりました。

戦後、十合本店はアメリカ進駐軍に7年間もの長きにわたり接収され、大丸など競合の百貨店に大きく出遅れることになります。同じ大阪発祥の大丸は1954年に東京進出を果たして大成功を収め、一時期は三越を超えて、デパート日本一の座まで獲得しました。それに対する焦りが1957年の東京進出(有楽町そごう出店)へとつながります。

しかし、この乾坤一擲の東京進出の施策は、見事に失敗。経営危機状態となり、板谷宮吉社長は辞任に追い込まれます。さらに後任の坂内義雄社長が急死したことで、後任社長の座をめぐって、当時メインバンクだった大和銀行と、板谷家の血縁代表として副社長になっていた水島廣雄氏との「お家騒動」に陥りました。

結果的にこの騒動は1962年に水島氏が社長に就任することで決着するのですが、日本興業銀行出身であり、法学博士号を持つという希有な才能を持つ水島氏が、その後のそごうの栄光を作り、そして破壊へ導くことになります。

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