そごうの栄枯盛衰に見る絶対強者に生じる綻び 堅牢なビジネスモデルが逆に企業を危うくする

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水島社長は当時、大阪・神戸・東京(有楽町)という3店舗しかなかったそごうを拡大させる戦略を取ります。その際、アメリカの百貨店の出店の定石となっていた「レインボーの法則」、つまり大都市を中心に一定距離を置いて虹のように取り囲んで出店する戦略を参考に、東京を中心にしてまず千葉に出店することを決めます。

1967年当時は大都市の象徴だった伝統的百貨店を、人口38万人しかいなかった千葉に出店することに対して、社内からは「ブランド毀損になる」「都市部から離れたところで働きたくない」という反対を受け、そして地元からは「地元経済をおかしくする」という反対を受けます。行き詰まった水島社長は、そのときに千葉そごうを独立法人化して出店するという奇策を思いつきます。

地域密着の法人が出店することによって、現地の雇用も増やし、そして本店に与えるリスクも軽減できる一石二鳥の施策。水島氏はその人脈を生かして出資者を集め、独立法人化した千葉そごうをスタートさせました。この戦略は大きく当たり、千葉そごうは1967年の出店から毎年想定以上の売り上げを積み上げ、短期間で出店コストを回収します。

この「百貨店のチェーン化」とも言うべき独立法人化に可能性を見出した水島社長は、その後も松山(71年)、柏(73年)、広島(74年)、札幌(78年)、木更津(78年)、黒崎(79年)、船橋(81年)というように日本全国で出店を加速します。さらには、タイ(84年)、香港(85年)、シンガポール(86年)、台北(87年)、ペナン(89年)など海外での出店も実現し、百貨店業界のイノベーターとしてその名をとどろかせるのです。

キャッシュ創出のサイクルが逆回転して行き詰まる

そごうがここまで急激に拡大できた背景には、「地価」という要素がありました。そごうは出店予定地周辺をあらかじめ買い占め、出店で地価を上げることで資産を増やします。こうして担保力をつけて黒字化した独立法人が、新しい店舗(独立法人)の債務保証をしながら銀行から資金調達し、そしてまた新たな店舗を作っていく、というサイクルを作っていきました。

例えば、千葉そごうが軌道に乗ると、今度は千葉そごうが出資して、柏そごうを設立。さらに柏そごうと千葉そごうが共同で札幌そごうなどに出資するという形です。地価が上がっていれば、担保によって銀行から新たな資金を調達することができ、そうして新しい店舗を広げていったのです。

しかし、このサイクルはいくつかの重大な問題をはらんでいます。

1つ目は、そごうの独立法人同士が支え合う複雑な形になっていたため、経営の内情がブラックボックスになること。これに水島社長のカリスマ性が合わさって、誰もグループ全体の経営状況を把握できない状況になりました。

資金の貸し手である銀行も、そして当の水島社長ですら、正確な全体像を把握していなかったといわれています。各社ともに独立法人であったために、人的交流もなく、数字の基準もバラバラな状態が放置されていました。恐ろしい規模のどんぶり勘定が許されてしまっていたのです。

そしてもう1つは言うまでもなく、地価が下がったときはすべてが逆回転する、ということです。担保価値が低下して銀行が資金提供を止め、資金回収に回るとき、この拡大サイクルは一気に「崩壊サイクル」へと転じます。

次ページまだ強気だった水島社長だが…
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