89歳の要介護女性がヤマトの荷物運ぶ深い理由 「要介護者に活動の場を」大牟田市の挑戦

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断られ続けても、猿渡さんが精力的に行動する原動力は何だろう。

「僕が高校生のとき、同居の祖母が認知症になり、必死に介護していた母が体調を崩して入院したため、祖母は施設に入りました。施設に行くと、高齢者がみんな何もせずボーッと過ごしていて、強い違和感があった。祖母はいつも『帰りたい』と嘆き、僕も帰ってきてほしかったけれど、自宅では介護できないので、祖母は施設で最期を迎えました。本当は自宅で生活させてあげたかった……その思いがずっと心の奥にあります」

かつて炭鉱の町として栄えた大牟田市。

楽しそうにスタッフと話しながら配達する内田さん(筆者撮影)

1960年には約21万人が暮らしていたが、現在11万人まで減少。そのうち高齢者は5万人弱で、全世帯のうち高齢者のいる世帯が54.1%、高齢者の一人暮らし世帯が25.8%に上る。

「高齢化が進む日本の20年先の姿」とされる大牟田市は、認知症に関する取り組みにいち早く着手。

2002年に市を事務局とする官民共同の「認知症ケアコミュニティ推進事業」を始め、「地域全体で認知症の理解を深め、認知症になっても誰もが安心して暮らし続けられるまちをつくろう」と多様な活動を進めてきた。

高齢者が増える日本がどんな社会であってほしいのか

2004年から毎年続けている「認知症SOSネットワーク模擬訓練」は認知症の人が行方不明になったという設定のもと、住民と行政、警察などが連携して探し保護する訓練で、近年は3000人以上が参加している。もともと「徘徊SOS~」だった名称を変更したのは「本人にとっては徘徊ではなく、目的があって出かけているから」という。

模擬訓練は小学校区ごとに行われ、校区の実情や課題に応じた取り組みへと発展。白川校区ではNPO法人「しらかわの会」を設立し、買い物運送バスやサロンの運営、外国人への日本語教室、障害児の登下校支援など、誰でも安心して住めるまちづくりを進めている。

人は誰しもいつか高齢者になり、自身や家族が認知症になるかもしれない。認知症は決してひとごとではないのだ。そんなとき、どんな社会であってほしいのか。大牟田市は理想のモデルを模索し挑戦を続けている。

佐々木 恵美 フリーライター・エディター

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ささき えみ / Emi Sasaki

福岡市出身。九州大学教育学部を卒業後、ロンドン・東京・福岡にて、女性誌や新聞、Web、国連や行政機関の報告書などの制作に携わる。特にインタビューが好きで、著名人や経営者をはじめ、様々な人たちを取材。

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