1970年代にはシェイのほか、旅客用列車としてはディーゼル機関車牽引の「光復号」やディーゼルカーによる観光特急「中興号」が阿里山まで運転されており、そのほかには各駅停車として、貨車と客車を連結した混合列車がほぼ1日を費やして運転されていた。
その後、阿里山へは立派な道路が建設され、鉄道は乗客のほとんどをマイカー、観光バスに奪われた。シェイは第一線を退いたが動態保存されており、ヒノキ製の木造客車を使った観光客用列車に用いられている。大井川鐵道や黒部峡谷鉄道との姉妹鉄道縁組も、日本、台湾双方からの集客の一環である。
鉄道撮影は禁止だったが…
今では日本から鉄道ファンが台湾を訪れるだけでなく、台湾にも多くの鉄道ファンがいる。しかし冒頭で述べたとおり、1970年代当時は原則として鉄道の撮影は禁止されていた。
ある時、筆者が鉄道沿線で列車を撮影していると、警官がやってきてフィルムを出せと迫ってきた。警官の横には密告者と思われる人物がにらみを利かせていた。が、警察官は取り出したフィルムの先を5cmほど引き出してカットし「これでいいです」と事なきを得た。密告者の手前の処置だという。警官も親日的な台湾人だったので「大岡裁き」をしてくれたのだと、ガイドの古仁栄さんは言った。
台湾の鉄道、1970年代から現在まで
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台湾鉄路のCT250形SL。日本のC55形だ
(筆者撮影)
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ひまわり畑を疾走するCT250形(C55形)
(筆者撮影)
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機関区に停泊するCT250形(C55形)
(筆者撮影)
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二水駅を発車するCT270形(C57形)牽引の列車
(筆者撮影)
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二水駅のCK120形(C12形)
(筆者撮影)
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台北市内を走るCT150形(C55)とCT150形(8
(筆者撮影)
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CT150形(8620)とCT250形(C55)の重連
(筆者撮影)
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電化前の西部幹線を行く「莒光号」
(筆者撮影)
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当時のディーゼル機関車は青に白帯だった
(筆者撮影)
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電化前の縦貫線を走る日本製のDR2700型
(筆者撮影)
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特急列車(莒光号)のアテンダント
(筆者撮影)
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1975年の台北駅
(筆者撮影)
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1975年の台北駅舎内
(筆者撮影)
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阿里山森林鉄道のシェイ式SL
(筆者撮影)
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重連で走る阿里山森林鉄道のシェイ
(筆者撮影)
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シェイ式SLの運転室内
(筆者撮影)
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阿里山森林鉄道のシェイ式SL
(筆者撮影)
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森林鉄道の駅に停車中の混合列車
(筆者撮影)
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阿里山森林鉄道のディーゼルカー「中興号」
(筆者撮影)
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1970年代、阿里山森林鉄道の車窓風景
(筆者撮影)
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「中興号」との交換風景
(筆者撮影)
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1970年代の阿里山森林鉄道の駅
(筆者撮影)
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羅東森林鉄道の列車
(筆者撮影)
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羅東森林鉄道の列車
(筆者撮影)
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嘉義の製糖工場を走る蒸気機関車
(筆者撮影)
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阿里山森林鉄道のシェイとヒノキ製客車
(筆者撮影)
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阿里山森林鉄道、神木駅のスイッチバック
(筆者撮影)
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阿里山森林鉄道、奮起湖の機関庫
(筆者撮影)
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阿里山森林鉄道の阿里山号
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台湾高速鉄道の700T型
(筆者撮影)
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日本統治期の建物が残る彰化の扇形庫
(筆者撮影)
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彰化の扇形庫にたたずむCK101形SL
(筆者撮影)
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彰化の扇形庫にたたずむCK101形
(筆者撮影)
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彰化の扇形庫にたたずむDT650形(D51形)
(筆者撮影)
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日本統治期の建物が残る嘉義駅舎
(筆者撮影)
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嘉義駅のホーム
(筆者撮影)
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E200型電気機関車が牽引する客車列車
(筆者撮影)
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在来線の特急、自強号
(筆者撮影)
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台湾鉄路「プユマ号」塗装の東武特急「りょうもう」(左)
(筆者撮影)
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「プユマ号」塗装の東武「りょうもう」
(筆者撮影)
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台湾の鉄道写真家、呉柏青さん(右)と筆者
(写真:南正時)
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