「撮り鉄」禁止だった時代の台湾鉄道の記憶 日本と台湾の「鉄」が築いた深いつながり
古仁栄さんは台湾の鉄道愛好者界の第一人者で、日本人鉄道ファンツアーの案内役としても草分け的存在だった。古さんは熱心な日本の鉄道愛好者でもあり、1980年代に日本の国鉄全線を完乗したというツワモノで、日本人鉄道ファンの心情を深く理解してくれた。

懸け橋を築くうえでは、古さんの長年の友人であった元鉄道雑誌編集者の故長谷川章氏が果たした功績も大きい。古仁栄さんと組んで、おそらく初の台湾鉄道ツアーを行い、日本人鉄道ファンを台湾の鉄道へ誘った最初の人であろう。筆者も長谷川氏の案内で阿里山森林鉄道を訪れた。また、1986年1月に阿里山森林鉄道と大井川鉄道が姉妹鉄道として提携する際、当時の大井川鉄道副社長、白井昭さんの台湾鉄道関係者との友好にも尽力された。
現在の台湾と日本の鉄道の密接なつながりを思う時、これらの方々が日台の鉄道、そして鉄道愛好者間の絆を築いてきたことを忘れてはならないだろう。
台湾に普及した「鉄道趣味」
現在では台湾においても鉄道趣味が盛んだが、この1つのきっかけとなったのは2007年に開業した台湾高速鉄道(台湾高速鉄路)といってもいいだろう。「台湾新幹線」の開業により、日本から台湾への観光客や鉄道ファンの訪問もさらに増えた。ただ、日本人鉄道ファンの多くは高速鉄道よりも、台湾に残るローカル線に日本の懐かしい姿を追い求める傾向が強いように思う。

筆者はこの頃、日本国内の鉄道ガイドブックを3冊刊行し、台湾でも中国語に翻訳されて出版された。高速鉄道の開業直後、台北の出版社を訪れて関係者たちとうたげを共にしたが、そこには台湾の鉄道写真家・呉柏青さんと鉄道ライターの許乃懿さんほか鉄道知識人の3人も同席した。
そのとき呉柏青さんは、風呂敷包みの中から筆者がかつて執筆した「ケイブンシャの大百科」3冊を取り出した。子どもの頃、この本で鉄道を知り、そして「鉄道写真の撮り方」を学んだというのだ。かつて鉄道にカメラを向けただけで憲兵が飛んできた時代があったことを思うと、台湾にも鉄道趣味が定着したことに歴史の流れを強く感じた。
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