地形でわかる、二子玉川駅付近が浸水した理由 橋脚が川の流れに影響を与える可能性もある
すなわち二子玉川付近は、大昔から川の流れが速く、堤防を造れば氾濫が起きやすい場所だったと推察される。
なお、推察と述べたのは、氾濫原が狭窄だからといって、現在の堤防に囲まれた川筋が狭窄とは限らず、その検証が必要なためだ。単純に両岸堤防間の幅だけでなく、河床の深さも考慮しなければならない。その点は今後詳細なデータを手に入れて検討してみたい。
橋脚が流れを乱す可能性
もう一つ鉄道橋梁近くで氾濫が起きる可能性として、橋梁の橋脚の存在が挙げられる。流れの中にある橋脚の数や形状によっては、流れを一部せき止める形となったり流れを乱したりすることがある。
二子玉川駅近くの氾濫地点の数十メートル下流には、鉄道橋梁とそれに隣接する道路橋(二子橋)が架かっている。さらにすぐ200mほど上流に国道246の橋もある。この氾濫地点付近に3本もの橋がある。また小田急線多摩川橋梁の300メートルほど上流にも津久井道の橋梁がある。東急田園都市線に並行してかかる道路橋の連続する橋脚を見ていると、川の流れを遮っているようにも思われる。
今回の二子玉川氾濫の大きな原因の一つは、この地点に堤防がなかったことが指摘されている。堤防を建設しなかった理由は、過去において景勝地である当地に料亭が数軒あり、堤防を造ると景観を損ねるとして反対意見があったためとされる。
玉川電気鉄道は開業当時、広告で次のようにうたっている。
「幽邃郷玉川!御遊覧は玉川電車で」というメインコピーに続き、春のお花見、夏の屋形船や納涼船、秋の初茸狩りなどに加え「冬は二子橋付近多摩川両岸武蔵野の冬景色が料亭の炬燵から杯を傾けつつ眺められます」。
現在の二子玉川駅付近には瀟洒なタワーマンションが立つが、昭和30年代くらいまでは、料亭の炬燵から眺めを愉しむ遊興の地だったのである。
鉄道が敷かれて都心から便利になり、人が移り住むようになったので、堤防のないことと鉄道の存在は、まったく関係ないとはいえないことになる。
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