地形でわかる、二子玉川駅付近が浸水した理由 橋脚が川の流れに影響を与える可能性もある
二子玉川駅の北側には多摩川にほぼ並行して国分寺崖線が連なっている。対岸となる南側にはいわゆる津田山の高台が張り出している。国分寺崖線と津田山の間の細長い平地を多摩川は流れるが、この平地部分の幅は約2kmある。2kmというと広いようだが、そのすぐ上流、そして下流はその倍近くの幅がある。二子玉川駅付近は、多摩川が流れる平地がかなり狭まっている地点なのである。
そうした地形と二子玉川駅との関係を振り返ってみよう。
大山街道がなぜこの地を通るように作られたのか
東急田園都市線の前身は1907(明治40)年に渋谷―玉川(現二子玉川駅付近)間に開通した玉川電気鉄道である。同鉄道は江戸時代の大山街道(ほぼ現在の玉川通り)沿いに敷かれ路面電車の形で走っていた。大山街道沿いの集落を行き来する乗客を目当ての一つに開業したわけだ。
そして江戸時代かそれ以前、大山街道がなぜこの地を通るように作られたかというと、一部推測になるのだが、多摩川のかつての氾濫原の平地を横切る距離が短くて済むルートになるからと考えられる。
氾濫原だった平地は、雨が降ればすぐぬかるむ。道路を整備し維持するのが大変である。当時の街道としては、そこをなるべく避けたり距離を短くしたりしたいのである。
また、二子玉川駅付近では、北西から野川、南西から平瀬川が多摩川に合流する。二子玉川駅地点より西側の地に大山街道を設けていたら、これらの川も渡らなければならなくなる。
そのため、大山街道がこの地を通ることになり、そこに後年鉄道が敷かれたという図式なのだが、一方で、川筋のある平地が狭窄となる地付近では、川幅が狭くなるので大雨時に氾濫が起きやすい。川幅が狭くなれば流れる速度も速くなる。
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