日本製中古車両の「聖地」ミャンマー鉄道の実情 鉄道インフラ輸出、大切なのは「人材教育」だ
フィリピン、タイ、インドネシアを中心とした東南アジア諸国には、戦後賠償の絡みもあり主に1950年前後から1970年代後半にかけて、新車の日本製気動車が数多く輸出されたが、いずれも整備不良によってわずか数年で故障が続発していた。インドネシアの場合、1976年~1982年にかけて136両の日本車両製気動車が輸出されているものの、1987年の時点で稼働していたのはわずか38両(稼働率28%)だった。
一方、もともとインドネシア国鉄が保有しているディーゼル機関車の稼働率は79%、同時期に日本から導入されていた電車は85%で、気動車、特に日本で主流の「液体式」ディーゼル車両のメンテナンスの難しさが浮き彫りになっていた。
千本松氏は、現地事情も考慮せずに戦前の技術を使った車両(当時の日本の気動車は戦前の設計をベースとした「DMH17」系エンジンを搭載していた)を途上国に売ったところで使いこなせるわけがないと、すぐにJICA向けに提案書を作成、人的支援の必要性を訴えた。
その結果、「インドネシア国鉄道再活性化事業」として、日本製気動車のメンテナンス管理・現場改革がインドネシア国鉄(現在のKAI)ジョグジャカルタ工場において約2年半にわたり実施されることなった。
30年前のインドネシアより悪い
当時は言葉もわからず、何もないジョグジャカルタへの赴任でとんでもないところに来てしまったと回顧する千本松氏であるが、それから長年を経た今もなお流暢なインドネシア語話者であり、筆者は頭が上がらない。
だが、ミャンマー国鉄の車両整備の現場が置かれている環境は、30年前のインドネシアよりも悪いという。長期の軍事政権下で経済制裁を受けていたため、工業化の遅れが深刻なのだ。
かつてのインドネシアでも容易に手に入った工具が市中になく、現場では有り合わせの不適切な工具で機器を分解し、意味もなく紙やすりで磨き上げてしまうため、車両の状態を一層悪くしている。さらに、単位システムが混在しているため、長さやトルクを肌感覚で伝えるのに苦労するという。しかし、車両メンテナンスの基本は世界共通だ。
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