三島さんは1980年に入社。最初に配属されたのは池袋線の小手指車両基地だった。ベージュと赤の塗装から「赤電」と呼ばれた旧型車両がまだ多く残る中、101系は「制御方式もブレーキもまったく違う、最新鋭の車という印象だった」という。
当時はまさに101系が西武の顔となりつつあった時期。先輩に「これからは旧型よりもこっち(101系)を覚えろ」と教えを受けた三島さんは、その後「所沢車両工場」に配属され、さらに101系と深く関わることになる。
同工場は私鉄の直営工場としては極めて珍しく、車両を新製できる高度な技術力と製造能力を備え、2000年に閉鎖されるまで101系を含む数多くの西武車両を生み出した。
三島さんはここで、初期に造られた101系の冷房化工事に携わった。巨大な冷房装置を屋根の上に、重さ2トンを超える電源用機器を床下に設置し、これらをつなぐ配線を張り巡らせるという大工事。担当したのは電線の配線工事だった。
「車内の内装を全部外した『骨』の状態にして、補強しながら冷房機を載せるんです。車両ってこういうふうになっているんだと深く知る機会になりましたね。あの工事に立ち会えた4年半の経験は非常に深く刻まれています」。101系を通じて得た経験が、その後の仕事に大きく生かされているという。
101系との深い縁
一時期の西武を代表する車両だった101系も少しずつ数を減らし、今では全車両のうちわずか3%となった。三島さんは共に過ごした車両が減っていくことに「だんだん少なくなっていくのは寂しいものですね」と語る。
だが、現役の40両は多摩川線や多摩湖線の主力として、カラフルな装いで引き続き活躍中。車両は毎日の清掃のほか、60~90日程度の間に1度は車内の大掃除をするといい、古さを感じさせない美しさを保っている。
また、引退した車両の一部は西武グループの伊豆箱根鉄道駿豆線や近江鉄道をはじめ、各地の私鉄に転じて活躍を続けている。実は三島さんは近江鉄道に3年間出向しており、そこでも101系と関わることになった。西武から譲り受けた車両の改造工事に携わったのだ。「たまたまですが、近江でも101系に関わるとは」と三島さんは笑う。切っても切れないかのような、101系との深い縁だ。
最新の車両と比べてメンテナンスには手間がかかるものの、「手をかければかけるだけ一生懸命走ってくれる」。鉄道マンたちの技術と愛情に支えられ、101系は走り続けている。
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