吉本を出たIT社長、目指すは「日本のジョブズ」 大家族10人を背に元芸人が挫折を乗り越える
乃村の経歴は異色だ。高校3年生の秋にNSC(吉本総合芸能学院)の14期生となり、24歳まで芸人として活躍していた。同期にはフットボールアワーや次長課長がいる。
ビジネスの世界へ身を転じたきっかけは、「パパ、もう笑えなくなった」という、妻の悲痛な一言だった。当時3人目を妊娠中の妻は、乃村が出演する舞台を見に来ても生活が苦しく、笑う気さえ起きなくなっていた。19歳で結婚しても芸人を続けてきたが、「男としてダメだな」と引退を決意したのである。
そして新たに選んだ仕事は、営業代行だった。25歳で雇われ社長に起用されたのは、とにかく仕事ができたから。乃村はコンビ時代、ツッコミとネタ作りを担当していたが、「商品をどう売るのか、その仕掛けを考えるのはネタ作りのロジックと同じだ」と気がついた。例えばコーヒー牛乳でネタを作るなら、飲むのか、作るのか、コーヒー牛乳になるのか、コーヒー牛乳のふたを売るのか、いろいろな切り口で考えてみる。
毎週のネタ作りを長年続けてわかったことは、「社会で関心が持たれていることを、自分なりの切り口と表現で伝え、人を傷つけずに風刺する技術が必要になる。だからネタを作る人は、総じてビジネススキルが高い」という結論だった。
ネタ作りで鍛えられた観察力に加え、「ツッコミとはソリューション。だからビジネスマンに向いている」と乃村は言い切る。「困っている人に『これをしたらええやん』ってツッコむのは、ソリューションでしょ? ボケは創造性の高い人が向いているけど、イノベーションを起こす人は1万人に1人いればいい。でもツッコミはたくさん必要。結果的だけど、お笑いの経験はメチャクチャ生きた」。
芸人から営業、ハウスメーカー、そして創業へ
営業の仕事は順風満帆に見えたが、29歳の頃、猛烈な危機感に襲われる。元々は芸人を目指したくらいだから、社会を驚嘆させるようなことをしたくなった。いちばん大きな産業は何かと考えたら、単価の高い住宅業界だと思った。「お笑いの舞台でも、200人より500人、1000人の前でしゃべるほうが楽しいし、モチベーションが上がる。それと同じ」。迷わず住宅業界に飛び込んだ。
その後、ハウスメーカーに転職すると、6日目で1軒目を受注。その後も順調に毎月2~3軒ペースで受注できたのは、「お客様は信用できるパートナーを探している」ということに気づいたから。「高すぎる買い物になると、いい家はどれかという着眼点なんて、持てなくなる。多くの人は信用できるパートナーを探す。僕が提案するべきは、あなたの不安を解決すると伝えること。住宅ローンについて聞かれたら銀行の担当者を呼び、構造について聞かれたら設計を連れてくればいい」。
サラリーマン時代、乃村はマーケティングやブランディングの仕掛けを考案して会社に提案したが、「お前は業界がわかっていない」と、ほとんど拒否された。そして結局、3年勤めてから、2010年にSOUSEIを創業する。初年度で24棟を販売。2年後にはエリアでナンバーワンとなり、6年後には奈良県でトップクラスに躍り出た。乃村が仕掛ける販売戦略が当たり、快進撃を続けたのである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら