JR東労組、大量脱退の背景に何があったのか タブーに切り込んだ「暴君」著者インタビュー
それでも、2006年には『週刊現代』でジャーナリストの西岡研介氏が「テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」を連載しました。しかし、この記事は松崎・組合側から50件もの訴訟を受けたのです。私も日経新聞の社会部長時代に名誉毀損で3件の訴訟を受けた経験がありますが、当事者として訴訟を受けるのは大変なことはよくわかります。
メディアがこの問題を扱うのはどうしても慎重にならざるをえない。だからJRの内部で起きていることが世間に伝わらなかったのだと思います。
――では、今回、『暴君』を執筆した理由は?
この年になって、知っていながら書かなかった、書けなかったことへの苦い思いと強い反省の念がふつふつとわいてきたんです。われわれがやるべき仕事を放棄しているようなものだから。生きている間に書き残したいという思いもありました。
本が出たら、昔の国鉄記者クラブの仲間や私がお世話になった人たちが、「ご苦労さん会」をやってくれました。みな新聞記者として、知っているのに書かなかった、書けなかったことを無念に感じていたようです。「お前はよくぞ書いてくれた」と言ってくれましたよ。
JR東が毅然とした態度をとれなかった理由
――JR東日本の歴代の経営者は、組合に対してなぜ毅然とした態度をとらなかったのでしょうか。
分割民営化に際して、JR東日本の初代社長は元運輸事務次官の住田正二氏に決まりました。ただ、あのとき、民営化を推し進めた国鉄の若手幹部「改革3人組」の1人、井手正敬氏が住田氏を補佐すると誰もが思っていました。松田昌士氏、葛西敬之氏、井手氏という3人組の中では井手氏が最年長で、改革派の“総指揮官的な立場”にいたからです。
一方で、松田氏は旧国鉄では珍しい北海道大学出身で企画畑。東大出身者が幅を利かす旧国鉄時代には運輸省に出向していた時期もあります。住田氏にとっては旧国鉄のエリートコースを走り続けた、やり手の井手氏や葛西氏よりも、運輸省時代に部下として使ったことがあり気心も知れている松田氏がやりやすかったのでしょう。
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