8090系・8590系を製造したのは、当時東急電鉄の子会社だった東急車輌製造(現・総合車両製作所)。1958年に日本初のステンレス電車を造ったメーカーだ。
同社は1962年以降、アメリカの車両メーカー・バッド社との提携に基づく技術でステンレス車を製造し、従来の鋼鉄製より軽くさびない車両として普及しつつあった。
だが、1970年代に入るとクーラーなど搭載する機器が増え、一層の軽量化が求められるようになった。省エネ化の要求も高まり、さらに軽さで上回るアルミ製車両への対抗も必要だった。
そこで開発されたのが軽量ステンレス車だ。同社の社史『東急車輌30年のあゆみ』によると、設計には航空機の強度解析に用いるコンピューターでの立体解析手法を日本で初めて鉄道車両に適用。「ステンレス鋼の耐久性、強靱性を極限まで追求した全く新しい構想の軽量ステンレス車体」(東急車輌30年のあゆみ)を生み出した。
ステンレス車のイメージ一新
8090系は第2世代のステンレス車として、1980年の暮れにデビュー。従来車と比べ1両当たり2トン以上軽量化された車体は、それまでのステンレス車両に付き物だった「コルゲート」と呼ばれる波板のないスマートな側面、メタリックの車体に映える赤いラインを入れた姿で、ステンレス車両、そして東急電車のイメージを一新した。
車体の形そのものもユニークだ。やや「下ぶくれ」の形状で、側面は床から屋根に向かってわずかに内側に傾いており、緩やかなカーブを描いている。ドアも、内側をハチの巣状の「ハニカム構造」にして軽量化したタイプを東急で初めて採用したという。
この際に開発された技術は、その後の日本の鉄道車両製造に大きく貢献していくことになる。東急車輌は軽量ステンレス車両の技術を、当時の国鉄やほかの車両メーカーに公開。ステンレス車両が全国的に広がる大きなきっかけとなった。
東急電鉄8590系・8090系
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8590系(手前)と1世代前の8500系
(記者撮影)
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やや「下ぶくれ」の8590系
(記者撮影)
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東急のステンレス車で初めて側面に赤帯が入った8090系
(記者撮影)
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8590系の側面。ステンレスの継ぎ目が8090系と違う
(記者撮影)
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8590系(左)と違い8090系は戸袋に継ぎ目が見える
(記者撮影)
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側面の赤帯と「ビード」と呼ばれるプレスのライン
(記者撮影)
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サッシ付きの四角い窓。その後の車両はサッシレスになった
(記者撮影)
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丸い穴は緑色の「ブレーキ不緩解表示灯」があった跡だ
(記者撮影)
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8090系の台車(動力台車)
(記者撮影)
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4つの穴は車輪を清掃する装置の取り付け跡だ
(記者撮影)
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車両間のケーブルはこの形式からまとめてつなぐ形になった
(記者撮影)
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8090系・8590系の床下にある抵抗器
(記者撮影)
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8090系(中間車両)の車内
(記者撮影)
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8090系は昭和55~60年に製造された
(記者撮影)
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8590系の車内。やや新しいためシートに仕切りがある
(記者撮影)
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8594号車は昭和63年生まれ。誕生日は12月29日だ
(記者撮影)
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車内。壁がやや内側に傾いていることがわかる
(記者撮影)
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初めて「ハニカム構造」を採用したというドア
(記者撮影)
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車端部を見ると車体が台形状であることがわかる
(記者撮影)
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床面から上に向かって緩やかなカーブを描く側面
(記者撮影)
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天井の扇風機
(記者撮影)
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8590系の運転台
(記者撮影)
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8500系の運転台。ほぼ同型だがハンドルの太さが違う
(記者撮影)
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行先表示などの設定器。東横線時代の行先はなかった
(記者撮影)
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「押上行き」の行先表示
(記者撮影)
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「住吉行き」の行先表示
(記者撮影)
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「あざみ野行き」の行先表示。ちょっとレアだ
(記者撮影)
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丸の中に「K」は東武線乗り入れ非対応車の印だ
(記者撮影)
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最新鋭の6020系(左奥)、8500系(中央)と並ぶ
(記者撮影)
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8590系(左)と8500系
(記者撮影)
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東横線時代の8590系(2004年撮影)
(撮影:吉野純治)
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