独断で選ぶ、国鉄・JR「史上最強の機関車」五人衆 真価発揮できず「役不足」に甘んじた機関車も
EF200の完成は見たものの、最終的に1600トン列車は実現せず、その真価は発揮されなかった。変電所の容量がこの機関車の大出力に耐え切れない、などの施設面の改良が追いつかなかったことが原因といわれるが、それは順次増強すればよいこと。問題は、変電所増強のための費用を誰が負担するのかという点にあり、JR貨物の自由にならなかった、ということだ。しかし、もしJR貨物が自由にできるのならば、ほかの日常的な費用もすべてJR貨物が負担すべきということになって、国鉄分割に際して定められたスキームが根底から崩れることになりかねない。
21両しか製造されず、本格的な活躍開始から30年を経ずに現役を引退してしまったけれど、日本の電気機関車技術を一歩も二歩も進展させ、次世代機関車の開発に貢献した功績は大きい。だから、やっぱり“最強”には違いないのである。
碓氷峠の覇者「EF63」
“力強い”にも、いろいろ種類がある。国鉄で最大の急坂区間だった信越本線の横川と軽井沢の間には、明治期の鉄道開通以来、いつも特別な機関車が使われてきた。電車にもすべて、補助の機関車を連結しなければ通過することができなかった。横川駅の“峠の釜めし”が全国的に有名になったのも、この駅での機関車の付け外しの時間に釜めしを買い求めることができたからだ。
この機関車の画期的なところは、大規模な線路の付け替え改良が、この機関車を使うことを前提に計画されたことにある。それまでは2本のレールの間に敷かれた歯型軌条(ラックレール)と機関車の歯車(ピニオンギア)を噛み合わせて坂道を登っていたのを廃止したこと。それによって、この区間の最高速度が倍近くに向上し、引っ張る列車の重さは5倍に増えた。さらに機関車の数は半分になり、使う電気も、それまでの直流600ボルトという路面電車と同じ電圧だったのが、ほかの区間と同じ直流1500ボルトに変更することができた。1963年のことである。
それから約30年以上、この機関車は頑張り続けたが、北陸新幹線が長野まで開通するのと引き換えにこの区間は廃止されることになり、1997年10月に、全部引退した。
廃止から20年経った今もなお、横川駅に隣接する“碓氷峠鉄道文化むら”にはEF63 11、12、24、25の4両が動く状態で保存されていて、“EF63形電気機関車運転体験”に使われている。また、EF63 1、10、18が展示され、軽井沢駅構内にはEF63 2が展示されている。ほかにも19がJR東日本の長野総合車両センターで、13の前頭部が大宮総合車両センターで、EF63 22が個人の手によって保存されている。全部で25両しか製造されなかったうちの11両が残っているというのは、この機関車の偉大さを物語る証しといえるだろう。
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