新宿、次の「大改造」で京王の駅は混雑緩和する? ホーム移動し改札新設、JR線上空にデッキも
その中で注目すべき内容が、京王線のホームを丸ノ内線側、すなわち今よりも北側に移動し、ホーム階に改札を新設しようというものである。
現在の改札口のある西口地下広場のフロアは各線の乗り換えや東西を移動する歩行者が行き交っており、それぞれの動線が交差する。その状況を改善するため、新たな改札と連絡通路を整備して乗り換え距離を短縮しようというものだ。
また、JRや小田急・京王の線路上空に東西をつなぐデッキを新設し、東西間の行き来を便利にするとともに新たな乗り換え経路とすることも計画されている。その際には、小田急百貨店や京王百貨店の改築も検討されることだろう。「新宿の拠点再整備方針」では、こういった動線の改善によって新宿駅エリアの人の流れを整えることを考えている。
都と区が2017年に策定した今後の街づくりの方向性を示す指針「新宿の新たなまちづくり~2040年代の新宿の拠点づくり~」と合わせて考えると、京王線新宿駅北側移設は恐らく2040年代になるだろう。
この計画について東京都都市整備局に問い合わせると「現在調査中でお答えできない」とのことだった。整備期間がどのくらいかかるか、そしていつ頃の完成を目指すのかといった点はまだまだ未定の部分が大きいだろう。だが、将来的にはこれらの構想に基づいて整備が進むことになるわけだ。
京王線新宿駅、移転と延伸の歴史
京王電鉄新宿駅は、戦時中に現在の位置に移転し、その後ホーム延伸を繰り返してきた。
戦前の「京王新宿駅」は、現在の新宿三丁目付近(追分)にあった。この地に「京王新宿追分ビル」が建っているのはその名残である。当時の京王線はこの付近では道路上を走っており、同駅を出ると南口の跨線橋で国鉄(現・JR)の線路を越えるという形をとっていた。
だが、戦時中の1945年に変電所が空襲で被災し、電圧が低下したため跨線橋の坂を電車が上がれなくなった。このため、終戦直前の同年7月下旬、現在の位置にターミナルを移転した。
その後も新宿付近は道路上を走る形態が続いていたが、列車本数や道路交通量の増加を受けて新宿―笹塚間の地下化が決定。地下線は1963年4月に完成し、現在まで続く地下の京王線新宿駅が使用開始された。
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