高級住宅街「尾山台」は渋沢栄一の思想が生んだ

幻に終わった世田谷区からの「玉川」独立運動

鉄道の開通が相次ぎ、駅が設置されたこともあって尾山台駅一帯は少しずつ宅地化されていったが、そうした中で農村・玉川村では新たな農業の形が生まれていた。大正末期にアメリカから帰国した農園主が、ビニールハウスを建設。その中で、カーネーション、スイートピー、シクラメンといった洋花の栽培を始めた。

当初、近所の農家は「変なことを始めた人がいる」と怪訝な目で見ていたが、しだいにビニールハウス栽培による農家は増えていった。とくに、スイートピーはよそでは生産できない希少な花として名産になり、それは一帯の農家に莫大な利益をもたらした。

スイートピーによる莫大な利益により、一帯の農地は次々とビニールハウスへと転換されていく。わずか10年で、ビニールハウスの面積は約4万2000平方メートルにまで拡大。当時、ビニールハウス栽培を手掛ける農家は、この一帯でしか見られなかった。不思議な光景だったこともあり、一帯は“玉川温室村”と呼ばれる。

多摩川の土手にあるバス停は、現在でも「玉川温室村」の名称を使い続けている(筆者撮影)

世田谷区側だけではなく、地続きの大田区田園調布側でもビニール栽培は見られた。世田谷区の公刊物では、同地域を“玉川温室村”と世田谷区の地名である玉川を使って呼んでいる。対して、大田区の公刊物では大田区の地名を用いて“多摩川台(田園調布)温室村”と呼んでいる。このあたりに、世田谷区と大田区の「温室村」ブランドを絶対に譲らないという気概が見え隠れする。

新たな農業をリードした「園芸学校」

温室村で栽培されていた品目は、時代とともに増加した。当初は花卉が多くを占めたが、メロンやイチゴといった西洋フルーツ、トマトやアスパラガスといった西洋野菜が生産されるようになった。

尾山台・田園調布で先駆的な農業が始められた背景には、東京府立園芸学校(現・東京都立園芸高等学校)の存在が大きい。1908年に開校した園芸学校は、尾山台・田園調布から至近の深沢にあった。当時、唯一の園芸教育の専門学校だった園芸学校では、ラン栽培・盆栽と菊の剪定・梨の品種改良といった授業をしていた。

地元農家が子息を園芸学校に入学させたほか、最先端の授業を受けようとして、他区からも入学希望が殺到。他県からの住み込みで通う学生や、朝鮮半島・台湾・ハワイからの留学生もいた。まさに、日本の園芸界をリードするような学校だった。

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