増税でアベノミクスは「なかったこと」になる 今秋の消費税増税はタイミングが最悪だ
また1993年6月、野党が当時の宮沢喜一内閣の不信任案を出し、小沢一郎氏たちが造反して野党に賛成した結果、内閣不信任案は成立し、衆院選が行われることになります。
ここで自民党は衆院での過半数を失い、逆に自民党を飛び出して新生党を結党した小沢氏たちは「非自民」勢力を糾合。かくして、自民党が下野し、八党派連立(日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合)の細川護熙内閣が成立しました。
大蔵省と小沢氏に「抱き込まれた」細川首相
その細川首相が1994年2月3日未明に突然、記者会見を開いて「国民福祉税」構想を打ち出しました。税率3%の消費税を廃止して税率7%の福祉目的税にする、というものです。
細川内閣は、赤字国債を発行しないことを公約の一つにしていました。しかも当時、アメリカが日本の内需拡大を促すために、日本の所得減税を求めていました。赤字国債を発行せず、所得減税も行うとなれば、消費税を増税するしかない。しかし消費増税は、消費税反対を訴えて支持層を広げてきた社会党から受け容れられないことは目に見えています。
ならば、いっそのこと「消費税」を廃止してしまい、「新税」の衣をまとわせようと考えたのでしょう。袋小路に陥った状況を活かそうと考えた大蔵省と小沢氏が、よく事情をわかっていない細川首相を抱き込み、一気に税制改革も進めてしまおうとしたのではないかと思います。
ところが、これが見事に失敗します。政治家が目論む「新税」などすぐに見透かされるのであって、大蔵省とすれば、細川首相をうまく取り込んだつもりだったのかもしれませんが、連立政権内でも話し合われておらず、根回しがまったく不十分だったこともあって社会党などは猛反発。たちまち翌4日の連立与党代表者会議で撤回されるに至ります。政権の求心力は急速に失われて、細川内閣は同年4月25日に総辞職しました。
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