いま日本企業に必要なのは「二兎を追う戦略」だ 「深化+探索」を繰り返して成長したアマゾン

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深化と探索を同時に行うときに、なぜ葛藤が生じるのか。オライリーとタッシュマンは、探索の対象になる新事業と深化の対象となる既存事業は、成功するために必要な組織要素のセット(組織的整合性)が異なることが多いからだと考え、ドイツのソフトウェア最大手SAPの事例を紹介する。

「1972年にIBM出身のエンジニア5人が創業したSAPは、世界中の法人顧客向けに、大規模なカスタマイズ可能なERP(基幹系の統合情報)システムを提供することで、大きな成功を収めてきた」。しかし2006年になると、SAPの株価は低迷し始める。

その大きな理由は、オンプレミス(利用者が情報システムを管理・運用する形態)のERP市場の成長は今後期待できないと投資家が考えたからだとされる。そこで、SAPは新しい中堅企業向け製品として、オンラインでSAPのソフトウェアにアクセスできるサービスを導入した。このサービスは、従来のオンプレミスのERPとは異なり、サービスを利用した分だけ支払ってもらうSaaS(Software as a Service)と呼ばれるビジネス形態をとっている。

ここで問題になるのは、従来のオンプレミスERPと新しいSaaSでは、成功する「組織的整合性」が異なることだ。従来のERPのビジネスモデルは、大手法人顧客向けに、長い販売サイクルで、非常に高額の複雑なシステムを販売する組織を必要とした。こうした統合型システムの設計や実装は複雑で、高度なプログラミングやサービスのスキルが必要とされる。必要な公式の組織構造は、綿密な計画を立てられる機能別の階層型組織だろう。

対照的に、新しいSaaSのビジネスモデルで大事なのは、標準化されたサービスを、短い販売サイクル、ユーザーID単位に課金で売る仕組みだ。必要な人的資源の中心は、営業志向で事務処理が速いスタッフであり、従来よりも自発的で柔軟な文化が求められる。組織の公式的な構造は、プロジェクトベースでフラットな産業別組織だろう。

両利きのリーダーの存在が新事業を成功に導く

上記のように、既存事業と新事業で必要な組織的整合性が異なると、組織内で葛藤が生まれる。そして、放っておくと既存事業の組織的整合性が優位となって、新事業の組織的整合性は定着しない。それ以前に、新事業を始めるときに、新しい組織的整合性の必要性を認識しながらも既存事業の組織的整合性に妥協しなければならないのが普通だ。

このような状況に置かれた企業が意識的に行うべきなのが「両利きの経営」である。ここでは、既存事業のほうが大きくて、それで実績をあげてきた企業が、既存事業の制約を感じながら、新事業に挑戦することが求められる。

このような組織の現実を解決するのに必要なのは、既存事業の声を聞かざるをえないという宿命に逆らって、異なる組織的整合性を意識的に両立させようとする「両利きのリーダー」の存在だと、オライリーとタッシュマンは主張する。(後編に続く)

根来 龍之 早稲田大学ビジネススクール教授

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ねごろ たつゆき / Negoro Tatsuyuki

京都大学卒業、慶應義塾大学大学院経営管理研究科(MBA)修了。鉄鋼メーカー、英ハル大学客員研究員、文教大学などを経て、2001年から現職。早稲田大学IT戦略研究所所長を兼務。専門は、ビジネスモデル、プラットフォーム戦略、IT経営。経営情報学会会長、国際CIO学会副会長、CRM協議会副理事長などを歴任。著書に『プラットフォームの教科書』『ビジネス思考実験』『事業創造のロジック』(いずれも日経BP社)、『代替品の戦略』(東洋経済新報社)など、主な監訳書として、ロール・レイエ/ブノワ・レイエ『プラットフォーマー:勝者の法則』、マイケル・ウェイドほか『対デジタル・ディスラプター戦略』(いずれも日本経済新聞出版社)がある。

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