30歳「ネカフェ難民」から抜け出た彼の壮絶半生 「人の役に立つ仕事がしたい」の思いで働く

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その後、康介さんも妹とは別の親戚の家に預けられた。しかし、親戚と折り合いが悪かったため、あまり帰らず、友達の家を泊まり歩く日々が続いていた。飲食店でアルバイトも始めたが「態度が悪い」と言われ、わずか1週間でクビになってしまった。

「その後、食品加工会社でバイトを始めました。時給は880円で、月7万〜8万円くらい稼いでいました。当時、友達の家を渡り歩いていたので、食事代やら生活費に消えましたね」

だまされてキャッシュカードを取られてしまう

高校3年生で進路について周りが考え始める中、進学は無理だと最初から諦め、何も考えずに過ごしていた。そして、在学中にアルバイトをしていた食品加工会社に誘われてそのままそこに就職。手取りは月20万円ほどだった。しかし、パワハラやモラハラがひどく、3カ月で仕事を辞めてしまう。

「辞めてやろうと思い始めたとき、ちょうど寝坊して遅刻してしまい『辞めちまえ!』と言われたので、ほぼバックレる感じで辞めました。会社の寮に入っていたので、夜逃げするようにすぐに荷物をまとめて出ていきました」

寮を出て行ったところで、親戚とも折り合いが悪いので行くあてがない。とりあえず、女友達の家に転がり込んだ。その後2カ月ほど友人の家で過ごした後、とある大人に出会う。何の仕事をしているのかよくわからないが、「自称社長」の男性だ。その男性が一軒家を持っていて1部屋空いているので貸してくれるというのだ。

「まだ19歳の世間知らずだったので、今思うとだまされてしまいましたね。確かに住む場所は与えてもらったのですが、キャッシュカードをその男性に預けることになり、生活費は自動的にそのカードから使われていたようです。だから、家賃の額も全然知りません。とりあえず飲食店や派遣のバイトをしていたのですが、給料もその男性に管理されていて、必要なものがあるとその人が僕の給料から買ってくれる感じでした」

その部屋には1年ほど住み、20歳になったことをきっかけに出ていった。結局カードは戻ってきていないが、20歳になれば法的にも大人として扱われ、もっと自由に生きられると思ったからだ。友人に手伝ってもらい、荷物を運び出して逃げた。そのとき働いていたのもやはりパチンコ店。月収は手取りで17万円ほど。給与が振り込みになると部屋の管理をしている男性の手元に入ってしまうため、最後の2カ月は現金手渡しでもらった。

「もう20歳になったしと思い、親戚の家へ戻りました。祖母がアパートを持っていたので、そこに家賃3万円で住んでいいよと言われ、1年ほどはそのアパートに住みました。そのときも別のパチンコ店で働いていたのですが、やはりパワハラがひどくてすぐ辞めました。そしてまた新たなパチンコ店へ渡り歩くという……日雇いの工事現場の仕事をしていたこともあります。日給7000〜8000円でした」

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