「阿波踊り」の再生策がまるで決め手を欠く理由 組織を複雑にしてもろくな結果は出ない
より根深い問題もある。阿波おどりの混乱という「地域内の泥仕合」の背景には、衰退する徳島市の苦悩があるのだ。
徳島にもかつて繁栄を極めていた時代がある。江戸後期には徳島藩の藩政改革が大成功し、日本全国を相手に稼ぎに稼いだ。その中核産業が「阿波藍」だった。本藍ともいわれた阿波藍は全国ブランドとなり、大きな富を徳島にもたらした。花柳界も栄え、そこから発展したのが、伝統行事だった阿波おどりだ。
だが化学染料の普及によって、藍染めは衰退した。
「地元外資本」参入で壊滅的な打撃
近年でいえば本州四国連絡橋の影響も大きい。昨年はくしくも、徳島と関西を接続することになった明石海峡大橋が開通して20年の節目の年だった。もともと徳島経済は海によって関西経済と一定の隔たりができていた。ところが橋の開通により、神戸や大阪の商業と直接競合することになった。
さらに物流網のボトルネックが解消されたことで、徳島内に「地元外資本」による大型モールやコンビニが続々と開業。競争の緩い内需経済に慣れていた徳島市中心部商業は壊滅的な打撃を受けた。かつての藍染めのように地域外で稼げるような産業力も細っている。
本来、伝統行事は地域の稼ぎによって発展し、支えられるもの。ところが産業が衰退し、誰もが自分のお金を出すのではなく、行政からの補助金を当たり前のように期待するようになってしまった。
こうした局面でやるべきは、“賞味期限”が迫った利権をめぐる内輪もめではない。新たな時代に即した稼ぐ産業をつくること。それが地方創生において最も重要なことだ。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら