「ベッキー結婚」でさえ酷評する人の深い闇 安易な「手のひら返し」や「厳罰続行」は禁物
しかし、前回「嵐に『結婚』『SMAP』『滝沢』を聞かない不思議」(2019年1月29日配信)というコラムの中で記者の意図や他記者の忖度を挙げましたが、「直撃LIVE グッディ!」(フジテレビ系)でもコメンテーターの伊藤洋一さんが「あの質問は必要だった」と語り、「東京スポーツ」が「涙を流してツイッターで抗議した日本テレビの青木源太アナこそ責任放棄」と報じたことで、世間の様相は一変。現在では「会見で聞きにくいことに切り込むのが記者の仕事」「あの質問で嵐のよさが引き出されてよかった」という声が大勢を占めています。
この騒動では、ワイドショーのMCやコメンテーターたちも、こぞって記者を糾弾していましたが、世間のムードが変わってからはノーコメント。「手のひら返し」になることを恐れてなのか、発言の修正をしないところに無責任さが露呈しました。また、それらの人や番組に泳がされていることが、人々の「手のひら返し」や「天使と悪魔化」を加速させているとも言えるでしょう。
ただ、人々の「手のひら返し」や「天使と悪魔化」は、メディア報道のせいだけではありません。「誰もが当てはまる現代人ならではの落とし穴」があるのです。
自分より他人と向き合う思考と習慣
「誰もが当てはまる現代人ならではの落とし穴」の最たるものは、「他人と向き合う」という思考回路と生活習慣。
ネットの発達で、日々膨大な情報にふれるとともに、「自分ならこうする……」と考えたり発信したりすることが習慣化しました。例えば、ベッキーさんの不倫騒動では、「私なら絶対にしない」「私が妻の立場なら許せない」と思うからこそ、あそこまで批判がヒートアップしたのですが、これは「自分と向き合っている」「自分の人生を生きている」とは言えません。
恐ろしいのは、「自分の人生と向き合うよりも、他人の人生をのぞき見する」機会のほうが圧倒的に多く、それが日ごろの思考回路や生活習慣になっていること。ネットニュースでは有名人、SNSでは友人・知人の情報にふれることで、自分のことはおのずと後回しに……。批判だけでなく、称賛や応援などのポジティブなものも含め、どのコメントも「自分の心から湧き出た思い」ではなく、条件反射のような直感的な感情が多くなっていくのです。
さらに恐ろしいのは、その思考回路と生活習慣は、誰かと共有することで強固なものとなりやすく、ますます自分の人生から遠ざかってしまうこと。すると、「誰のために、何のために批判しているのか?」「本当にストレスを発散できているのか?」すら自分でわからなくなるほど感情がマヒしてしまいます。
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