実は役に立つ「論語の素読」と「偉人教育」 「君たちはどう生きるか」というモデルの不在
施光恒(以下、施):ありますね。私の地元の福岡県だったら、久留米絣を作った井上伝さんという江戸時代の女性とか、「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重さんとか。
柴山:僕は小学校のとき親父の仕事の関係でしばらく福島へ行っていたんですが、そこでいちばん覚えているのが野口英世の話なんです。
中野:野口は人間としてはどうかという側面もあったようですがね。
柴山:偉人って、実はとんでもない人間だったりするんですよ。でも小学校レベルでは、「世のため人のためにがんばった」という物語が重要なんですね。
中野:「偉人をめざして修身、努力することが大切です」という話ですね。
子どもの頃の記憶に残る偉人への尊敬心
柴山:先日、大分で「三浦梅園資料館」というところに寄ったんです。三浦梅園は江戸時代の思想家で、国東市が記念館を作ったんですね。といっても思想家だから、一般人にわかりやすい事業をやったわけではない。だからほとんど客はいないんですよ。
ところが記念館の壁にたくさん絵が貼ってある。国東市内の小学生が先生に連れられてここに来て、学芸員から話を聞いて絵を描いたり感想文を書くわけです。「三浦先生は地域のために貢献して、大変すばらしいと思います」、と。
三浦梅園が本当はどんな人だったかという話の内容は忘れてしまうかもしれない。だけど「日本中の人が尊敬するような立派な人がこの町から出たんだ、みんなも頑張ってそんな人になりましょう」という先生のメッセージは残るんじゃないかな。
大人になって調べてみると、必ずしもすべて立派だったわけでもないということがわかったりするけれども(笑)、それでも子どものときに植えつけられた、偉大な人物に対する尊敬心が消えるかというと、それはまた別の形で残ると思うんです。
古川:実はカントも、子どもたちの心に義務の観念を呼び起こさせるには、圧倒的に道徳的な行為の実例を模範として示してやるのがよい、と言っています。圧倒的に道徳的な行為というのは、それだけで人々の心を高めさせ、自分も同じように行為したいという願望を抱かせるものだ。それは子どもでさえそうなんだ、と。子どもに道徳を教えるにはそれしかないとまでカントは言っている。
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