乙武洋匡が見た「被害者と加害者」虐殺後の和解 多くの葛藤を経ながらも許し、許された関係

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――サラビアナさんは、彼らが刑期を終えてこの村に戻ってくるというときには、どんな気持ちでいたのですか?

サラビアナ:それはもう恐怖で、死にたいくらいの気持ちでいました。狭い村ですから、どうしても会ってしまうこともあります。遠くから彼らを見かけただけで、私のほうでも違う道を選んで、彼らを避けるようにしていました。

自らの罪に勇気をもって向き合ったタデヨさん

――まさしくタデヨさんと同じ行動をされていたのですね。しかし、その後、タデヨさんやアンドレさんが家を建てるプロジェクトに参加することになり、彼らと頻繁に顔を合わせることになります。

サラビアナさんの右頬には、ナタで殴られた大きな傷跡が残る

サラビアナ:それでも、まだあまり彼らのことは信用していませんでした。家を建てると言ってくれてはいるけど、本当の狙いは何だろうとか。あいさつに来てくれたときも、普通ルワンダではお客さんに椅子を渡すのですが、そういうことさえできない状態でした。

――そんな頑なな気持ちに変化が生じたのは?

サラビアナ:1年間かけて一生懸命私の家を建ててくれるその姿を見て、私の心も変わっていきました。そして、家が完成したときにタデヨさんから「正式に許しを請いたい」という申し出を受けたんです。その完成セレモニーにはREACHのスタッフや郡庁の役人なども来てくれて。そこでようやくタデヨさんを許す気持ちになれたんです。そこから顔を合わせればあいさつを交わしたり、互いの家を行き来するようになったり。今では私たちの間には何の問題もありません。

――サラビアナさんにとって、表面的にすぎない形だけの謝罪とタデヨさんのように心に響く謝罪、その違いはどこにあるのでしょう?

サラビアナ:やはり自分が犯した罪をきちんと認め、そのことにきちんと向き合っているかという点に尽きます。タデヨさんの謝罪の言葉からはそのことがしっかりと感じられ、深く後悔している念が伝わってきました。

サラビアナさんの言う「自分が犯した罪をきちんと認め、向き合う」ことは、誰にでもできることではない。その罪があまりに大きいからこそ、それと向き合うには勇気が必要だし、タデヨさんも口にしていた“恐怖”を感じることになる。アンドレさんもまた、自分の罪と向き合うことができずにいた1人だった。

――タデヨさんがサラビアナさんの許しを得たのは2010年のことでしたが、アンドレさんが彼女の許しを得たのは2017年のことだったとか。

アンドレ:そこには誤解もあったんです。家が完成したセレモニーでタデヨさんが彼女から許しを得たとき、私を含めたプロジェクトメンバーは全員が許されたと勘違いしてしまったんです。でも、それは大きな間違いでした。許しを得たのは自分の罪と向き合ったタデヨさんだけで、私たちはただ家を建てただけで終わってしまっていたんです。

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