東上線「朝霞」、地名の由来は「ゴルフの宮様」 往年の「大遊園地」計画、現在地は武蔵大学

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交通アクセスは申し分ない。ただ、会員にはなじみのない土地だったため、ゴルフ場までの交通手段を周知する通知が出された。その通知には、最寄り駅は成増駅と記載され、駅からは送迎用自動車が手配された。

東上鉄道開業直後の沿線は、田畑が広がり農村然としていた。膝折や隣接する新倉(現・和光市)では、ゴボウ生産が盛んだった。東上鉄道が開業すると、名産品のゴボウは東京の神田市場や大阪の天満市場にも広く出荷されるようになる。同地域で収穫されたゴボウは“新倉牛蒡”とブランド化されて、高値で取り引きされた。

東上鉄道はその後も順調に路線を延ばすが、1920年に東武鉄道と合併。新たに東武東上本線として再出発する。

武蔵野の面影を残す平林寺は紅葉が有名だ(南天 / PIXTA)

この頃から、東武経営陣は東上線沿線の観光地化を模索するようになる。東上線の沿線は農村然としていたことから、東武や地元自治体は芋掘りと寺社参詣をセットにした行楽地巡りを全面的に宣伝。朝霞市内では、芋掘りの名所として東圓寺が人気だった、

近場の名跡としては、武蔵野の面影を残す平林寺が新聞や雑誌などでもたびたび取り上げられる。平林寺参拝後に東圓寺で芋掘りを楽しむことが東上線の定番コースになり、多くの行楽客を集めた。

名前の由来は「ゴルフの宮様」から

東上線の目玉観光地のラインナップに、新たにゴルフ場が加わる。計画段階から“東洋一のゴルフリンクス”をうたい文句にしていただけあり、ゴルフ場移転は大きな期待を集めた。

しかし、ゴルフ場であるがゆえに、「膝折という地名は縁起が悪い」といった疑問が会員から呈される。こうして、地元住民のみならず東京ゴルフ倶楽部の会員も交えて膝折村の改称が議論された。

膝折に替わる新名称の有力候補は、“ゴルフの宮様”こと朝香宮の宮号にあやかった“あさか”だった。膝折の住民たちや東京ゴルフ倶楽部の会員たちは、新たに“朝香”を使う許可を宮内省に求めた。

宮内省は膝折改称の要請を却下。結局、“朝香”は幻に終わり、同じ読みで漢字が異なる“朝霞”で代替することで許可された。

このとき、東京ゴルフ倶楽部の代表者として宮内省に「朝香町」への改称を請願したのが、第1次若槻礼次郎内閣で鉄道大臣を務めた井上匡四郎だった。

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