東上線「朝霞」、地名の由来は「ゴルフの宮様」 往年の「大遊園地」計画、現在地は武蔵大学
野球・サッカー・テニス・バレーボール・卓球・バスケットボール・柔道・剣道・弓道・相撲……。スポーツや武道の分野において、天皇杯が下賜される国内大会はたくさんある。数ある天皇杯のなかでも、ゴルフはもっとも古い歴史を有する。
明治期、壮健な心身をつくるべく、国策として国民の間にスポーツが奨励された。政府がスポーツを奨励した背景には、心身を鍛錬することで強い軍隊をつくる目的が内包されていた。そうした国是によって、大正期からは学校教育の場でもスポーツが取り入れられていく。
皇室とスポーツの結びつきが強くなるのは、昭和天皇の皇太子時代からだ。とりわけ皇室とゴルフの結びつきが強い。そのきっかけになったのが、1922年に来日した英国・エドワード8世王太子とのゴルフ対決だった。新宿御苑でのゴルフ対決はエドワード王太子が勝利したが、その際に王太子は銀製カップを東京ゴルフ倶楽部に下賜。それに倣い、皇太子だった昭和天皇も優勝カップを下賜するようになる。
名門ゴルフコースが朝霞に移転
年号が昭和に替わると、昭和天皇は多忙を極めるようになる。赤坂離宮には6ホールのゴルフコースが開設されていたが、昭和天皇の事情を考慮して吹上御所にも3ホールのコースが新設された。また、新宿御苑内にもゴルフコースが造成されている。
昭和天皇と並び、ゴルフ好きとして知られる皇族が朝香宮鳩彦王だ。後に“ゴルフの宮様”と称される鳩彦王は、東京府荏原郡駒沢村(現・世田谷区駒沢)にあった東京ゴルフ倶楽部で1928年から名誉会長を務めた。
昭和に入った頃から東京市内の都市化が急速に進み、地価は高騰。それは東京市内のみならず、周辺郡部にも及ぶ。駒沢村のゴルフコースは、有志が資金を出し合って結成した東京ゴルフ倶楽部が借りていた。地価の高騰は、契約料にも大きな打撃となる。その影響で、東京ゴルフ倶楽部は移転を決断する。
東京ゴルフ倶楽部は、都心からそう遠くない埼玉県膝折(ひざおり)村(現・朝霞市)に新天地を求めた。1914年に東上鉄道(現・東武東上本線)が開通しており、同地には膝折駅が設置されていた。
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