2018年もまもなく終わろうとしている。来年は新たな元号の下、高速道路にもこれまでとは違った風が吹こうとしている。一年の締めくくりに高速道路の来し方行く末を考えてみたい。
「名神起工の地」の石碑が伝える歴史
11月末、自転車で京都の紅葉をめぐるミニトリップをしていた時のこと。2018年春にJR東海の「そうだ京都、行こう。」キャンペーンの舞台となった京都府山科区の勧修寺(かじゅうじ)から、次の紅葉の名所、随心院を目指して名神高速道路の側道を走っていたら、上の写真のような大きな看板と石碑が目に入った。
「日本で最初の高速道路 名神起工の地」という文字と、もう1つ「旧東海道線山科駅跡」の文字が並んで大きく掲げられている。今年は、1958年(昭和33年)10月に、名神高速道路が着工されてちょうど60年。最初の高速道路の開通区間である栗東インターチェンジ―尼崎インターチェンジ間が開通したのは、その5年後の1963年であった。
名神高速を大津ICから下りの京都方面に走っていると、やはり「名神起工の地」の標識が路肩に出ているのが見えるし、桂川パーキングエリアの上り線にも、起工の地がこの先の山科付近であることを告げる看板が設置されているが、高速道路の下で、一般道の利用者に向けて、同じ趣旨の碑や看板が出ているところは一度も見る機会がなかったので、思わぬ拾い物をしたような心持ちになった。
京都市は千年の伝統を受け継ぐ古都でありながら、日本初の路面電車が走った街であり、水力発電のわが国における嚆矢(こうし)となった地でもある進取の都市だが、日本の高速道路の着工も京都がその始まりだったというのは改めて興味深い事実に思える。
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