「ロシア・アヴァンギャルドの実験的運動は、ネップ(新経済政策)が始まるころには終わってしまいます。ただ、その後も実験の成果は、はずみ車が回るように続いていきます。『火星旅行』のポスターは1926年ですから、実験的試みはすでに終わっている時期ですが、同心円と斜めの線が効果的に使われています」と籾山さんは語る。
なぜ革命政府が映画を?
革命政府は映画産業を国有化し、数多くの映画を製作した。なぜ映画が必要だったのか?
「理由は2つありました。当時の教育レベルでは、都市部でも半数の人は文字が読めませんでした。政府の考えを伝えるためには、動画がわかりやすかったのです。もうひとつは、人々に娯楽を与える必要があったからです。革命政府はこんなにすばらしい世界を与えることができる、ユートピアを実現できると、アピールする最大の手段が映画でした。演劇は1カ所でしか上演できませんが、映画はフィルムさえコピーすれば、広大なソビエトの国土に一斉にまくことができたのです」
軍人教練施設のドキュメンタリー映画もあれば、完全な娯楽映画もあった。製作が間に合わないときは、アメリカ映画などの外国映画を輸入した。
ソビエトが製作した映画で、国内外で初めて成功したのが、エイゼンシテイン監督の『戦艦ポチョムキン』だ。ロトチェンコがデザインした上のポスターには黄色と黒の2色しか使われていない。
「色が限られているからこそ、想像をかき立てられます。1905の数字が画面を引き締めています。余白を大胆に使い、面を強調したデザインです」
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