日本の研究が中韓台の後塵を拝する本質理由 理系人材の「選択と集中」がIT遅れを招いた
その頃アメリカでは急速にコンピュータ・サイエンスを強化していた。1970年代に学生を倍にし、1980年代にも倍にした。1970年代から1980年代を通じてコンピュータ・サイエンスを学ぶ若者を4倍にしたアメリカに対して日本はまったく後れを取ってしまった。コンピュータ・サイエンスに特化した研究科はほぼゼロであった。
もっともこうした選択がまったく非合理的だったとは言い切れない。何でもできるほど豊かではない以上、ある程度の「選択と集中」は避けられない。当然、強みのある分野に集中する。それが機械、材料、化学という分野だったということだ。
ただ、将来のことを考えれば、当然新しい分野に注目しなければならない。新しいものは目の前にあるわけではない。まだ萌芽でしかないようなものは見過ごされがちだ。梶川教授は言う。
「第1は、全体像に関するエビデンスを与えたい。AIとかIoTとか機械とかの一点突破ではなく、それに関する研究や技術、ビジネスモデル、政策、制度などの掛け算として全体像を考える、そのためのデータやエビデンスだ」
イノベーション・エコシステムが不可欠
しかし、分析から得られるものはあくまで現在あるいは過去から出てくる全体像であり、将来どうなるかはここではわからない。
「これからどこに向かっていくのかが、第2のテーマです。トレンドとか予兆を見つけるということですね。たとえば、1970年代にはソフトウエアは予兆だったかもしれないが、1990年代に入るとシリコンバレーはソフトウエアで急速に盛り上がった。これは予兆ではなくて現実です。日本もこの1990年代に情報系の学生の数を急いで増やし始めたけれども、現実を見てからではもう遅い。だから現実からエビデンスを探すのではなく、予兆をとらえてエビデンスにしなければなりません」
そこから先はさらに難しい。
「第3は、『今ないもの』を創ることです。将来とは予測するものではなく実現するものだと思います。そのためのデータを提供したい」
イノベーション・エコシステムをつくると言い換えてもいいかもしれない。ただ「将来を創る」となると、研究の方向性や効率だけの話ではすまない。出てきたアイデアのビジネスモデルやビジネスのためのプラットフォームが課題になる。
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