――BCJにかかわった歳月は?
鈴木:これは複雑な質問ですね。なんと言っても家の中全部がBCJですから、かかわって28年になるとも言えます(笑)。父がリビングに入ってきて「決めた!(名前を)バッハ・コレギウム・ジャパンにしよう」と叫んだのを今でもよく覚えています。
僕は当時8歳でしたが、それ以来ずっとBCJを見続けているわけです。プロジェクトが始まると家の中が戦争のような状態になり、借金はかさむしとにかく大変でした。母が「今日もアジの干物でいい?」なんて言うのですが、僕はアジの干物が大好きなので“何が問題なのか”という感じでした(笑)。
これは美談でもなんでもないですけれど、バッハのカンタータのメッセージそのものに助けられて今まで来たという感じです。いま振り返ってみると“バッハのカンタータを全曲やり通した”という実績のみが残っていますが、やっている最中は目の前の小さな障害ばかりが目についていたのです。たとえば所属していたはずの事務所から突然放り出されるとかですね。それで現在の千駄ヶ谷の事務所に移ったのです。4畳半みたいなとても狭い事務所ですけれど、そこから生まれる音楽はとてつもなく大きいのです。そういう苦労をずっと見続けてきたのです。
――BCJの今後とは?
鈴木:使命としてバッハのカンタータを中心とした音楽を可能なかぎり広く届けるということと、次の世代にバッハの音楽を伝えていくということが重要だと思っています。BCJがカンタータを録音する中ではからずも培ってきた職人技があるのです。それはBCJの中で演奏しないと絶対に伝えられないものなのです。そういったものを若い人たちに伝えていきたいですね。
バッハを演奏すること自体はどんな楽器でもどんな演奏でも経験があってもなくてもできるわけです。それがバッハの音楽のすばらしいところですが、BCJとしてはそういった経験を力にしつつ新しいバッハをつねにやっていきたい。同じ曲でもやるたびに進化していくところがBCJの良いところだと思います。
クラシックに未来はあるか?
以上、鈴木氏へのインタビューをお届けした。
鈴木氏はBCJの演奏メンバーとしては、2002年のサントリーホール・クリスマスコンサートに「メサイア」のオルガン奏者として参加したのが最初だという。バッハの時代に指揮者という職業はなく、「指揮者です」と言っても誰も仕事をくれない時代だった。
そういう時代の音楽をやっているのに指揮者だけでいることはできないと言う。指揮者、鍵盤奏者、さらには作曲家として活動していくことから生まれる相乗効果が大きいのだろう。
「自分の立ち位置を一言で言えばコミュニケーターですかね。音楽そのものを通してみんなの耳に訴えるのが好きなのです。ワインを楽しむようにもっと気軽に音楽にアクセスしてほしい。僕にとって現状でいちばんいいと思えないものの1つがクラシック。まさに突っ込みどころ満載です。その意味でも“クラシックには未来しかない”と思っています」
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